2018/04/24

「Dr.オースティン展」の今昔ヴィデオの検証結果

■5月6日まで…

九段の昭和館で開催されている、オースティン博士撮影の写真展
「希望を追いかけて」
 http://www.showakan.go.jp/events/kikakuten/index.html

に関連して、同博士撮影の写真によるスライドショー
https://www.youtube.com/watch?v=ZmEixljWQuA&t=
がYouTubeに公開されています。

その冒頭は、下北沢(現在は「代沢」)の北沢八幡神社の祭礼の折とされる写真。

その後半にあたる御神酒所の写真については、まだ検討の資料不足なのですが、前半の「神輿の道路上の巡行」時の写真については、それなりに資料があるので、やや細かく検証してみました。

■この地域…

東の渋谷区大山町は代々木八幡神社の、西の世田谷区代沢の一部と北沢は北沢八幡神社の氏子、この写真については考えにくいものの、少し南東に下った目黒区駒場は同区大橋の氷川神社の氏子と、まず、神輿の特定からして大変なのですが、写真の神輿が、北沢八幡神社の氏子で構成される各睦会の中の最北端にあたる「四五睦」のそれであることは、早大の佐藤教授のグループが、同睦会の関係者から確認を取っているとのことです。

■そうなると…

問題は、ヴィデオの最初(2:02~2:09)の、神輿が画面手前に向かってくる写真

http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/items/show/303

で、画面右やや上の道路標示のプレートに「G AVE」とありますので、画面を横方向に横断している道が、現・井の頭通り、当時の呼び方では「水道道路」であることは、ます疑う余地はないので、神輿が巡行している、それに直交している道が、現・都道鮫洲大山線、旧称では駒場道ということになります。

問題は、この写真、駒場道の北方向から撮った写真なのか南方向から撮った写真なのかにありました。

当方のような近隣住民の発想では、この駒場道の、西側の北沢4丁目は当時ともかくも商店が増えつつあった時期、東側は代々木大山町のお屋敷町ですので、画面右に見える商店の列は、通りの西の北沢側にあるように見えるのです。

■しかし…

そう断定しようとする場合のネックは、電柱の列の位置。

上のように解釈すると、電柱の列は駒場道の西側にあったことになるのですが、ヴィデオの次の写真である

http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/items/show/284

では、画面右がお屋敷町である代々木大山町側に見え、道路のに沿う電柱の列は駒場道の東側にあることになります。

■と、なると…

この駒場道沿いの電柱の列は、水道道路との交差点のあたりで、道路の西側から、東側に移ったことになるのですが、さすがにそれは考えにくい。

■そんな折…

渋谷区大山町会「渋谷区 大山町誌」同/平成16年5月・刊

の口絵の「山下論助描 往時の我町」のページ下部の「玉川上水 昭和26年8月」(キャプション末尾に「幡谷寄りから大山方面への眺めである」とある)

Photo


によると、電柱の柱列は駒場道の東側に描かれています。

■と、なると

最初の写真は、大山交差点を南方向から撮った写真。つまり、最初の印象に反して、駒場道の東側の大山町側に商店が並び、右側の北沢側はいわば緑豊かだった、と考えざるを得なくなったのです。

そこで、さらにもっと「確実な根拠」がないものかと、先の「大山町誌」を読み返してみると、その「第12回 座談会」の記事中に「井の頭通りの大山町会館側〔註:駒場道の東側〕には…恩田さん…中島洋服店などがありました。」(p.105)との記述があるのが見つかりました。

■はたして…

1枚目の写真をよく見ると、交差点の右側の商店の列の3軒目、神輿の屋根の左奥に「中島洋服店」との袖看板が写っています。

つまり、この1枚目の写真は、大山交差点の南側から北に向かって撮影されたことは、間違いなさそうなのです。

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2018/04/16

「下北沢の戦後アルバム」編集ログ

・フロリダ州立大学蔵のオースティン博士のコレクション中の
 終戦直後の下北沢の写真
・下北沢で生まれ育った飯田勝氏の昭和末期の下北沢のイラスト

を編集した

「下北沢の戦後アルバム」(北沢川文化遺産保存の会/平成30年3月・刊)

Shimokitazawa_after_post_war_for_pr
奥付(左)と表紙(矢印付数字は、写真番号、撮影位置・方向を示す)

結構あちらこちらで「いつごろから始まったプロジェクトなのか」とのご質問があり、毎回思い出しながらお答えするのも面倒なので、今日の出張の往復の新幹線の中で、ダウンロードした画像やメールのタイムスタンプを基に、編集ログのデータをまとめました。

焼け遺ったまち 戦後の下北沢アルバム(以下「アルバム」)編集ログデータ

凡例:「会」    =北沢川文化遺産保存の会< http://blog.livedoor.jp/rail777 >
      「邪宗門」=世田谷邪宗門<
http://jashumon-setagaya.la.coocan.jp >
      「FSU」  =フロリダ州立大学<
http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka> 

16/05/27ころ 会の米澤邦頼氏がオースティン・ライブラリ
                    http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/items/browse?collection=1
         中に”shimokitazawa“の写真なるものがあることををSNSを通じて探知
         
【参照】東京新聞18(H30)/04/25朝刊28面参照

16/06/17ころ 米澤氏が、当時同定されていた下北沢関連写真8枚などを、
         会の事務局であり集会所でもある邪宗門に届ける
         
【参照】https://www.google.com/maps/d/viewer?mid=1_mDAHet9kv1Pu78S29LNXtBxwNM&usp=sharing

16/07/27・28 第1回悉皆調査(この時点で、写真07/09/10/16/17を除く13枚発掘)
16/08/04・05 第2回悉皆調査(写真10/16/17を発掘)
16/08/01      会の作道敬子さんの調査結果を加え、既知の16枚の位置・方向特定
16/08/06      会の第2回研究大会で「下北沢今昔写真」のプレゼンテーション実施
                   http://blog.livedoor.jp/rail777/archives/52025207.html
         
【参照】http://baumdorf.cocolog-nifty.com/gardengarden/2016/08/post-9fe0.html

16/12/17      会の第123回「都市物語を旅する会」定例ツアーとして
          「下北沢の終戦直後(1946~1950)のカラー写真跡を歩く」を実施
         http://blog.livedoor.jp/rail777/archives/52034828.html
         http://blog.livedoor.jp/rail777/archives/52034893.html
         http://blog.livedoor.jp/rail777/archives/52035073.html

16/12/24ころ 邪宗門に、米国の Nakada 氏から下北沢他の写真が郵便で届く
         
【参照】http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/the-nakada-family

16/12/26      ネット上で発見した Nakada 夫人のアドレス宛メール発信【無反応】
17/02/20      FSU宛て、ライブラリの連絡フォームより照会文発送
                                 【受信確認メール後無反応】
17/10/17      NHKのディレクターの方よりご教示を受けた、FSUのキュレーターの

          Dr. Annika Culver のアドレス宛てダイレクトに照会文を発信
17/10/17      Dr. Annika Culver より”Image Permission and Use Agreement” form
                   が添付された了承の返信を受領
17/10/21      Dr.Culverのメールを受け、「あわてて」最初の割付素案作成
17/11/05      第3回悉皆調査(写真07/09を発掘)

17/11/14      飯田作品の編集用のデータをpdfファイルで入手
17/11/19      邪宗門で編集会議開催
         http://livedoor.blogimg.jp/rail777/imgs/9/b/9bbb08f0.jpg

18/01/31      飯田作品の高解像度データをtiffファイルで入手
18/02/15      印刷初校
18/02/15・16 第4回悉皆調査(「出土物」なし)
18/03/02      FSU宛て、“Image Permission and Use Agreement” formに、必要事項
         を補入して発送
18/03/15      校了
18/03/23      印刷完了
18/03/24      会により、北沢川緑道で初配布
         http://blog.livedoor.jp/rail777/archives/52065424.html

18/03/27      FSU宛てアルバム5部(許諾条件では2部)を発送
18/04/11      FSUよりアルバムの受領通知受信

                         by キュレイタァ/エディタァ きむらたかし

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2018/04/15

ギャラリートーク「オースティン・コレクションでの試み 写真のはたらきを考える」

■昨晩…

早稲田大学の佐藤教授のお誘いで

赤坂のギャラリー&カフェ「Tokyo Little house」
http://littlehouse.tokyo/
で、午後7時から開催された

ギャラリートーク「オースティン・コレクションでの試み 写真のはたらきを考える」

に行ってきました。

■4人の論客…

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左から、古本隆男さん、佐藤洋一教授、米野雅之さん、衣川太一さん

それぞれの、ノウハウをフルに駆使した、写真(はいうに及ばず、そのスライドマウントまで by 衣川さん)の解析方法とその意義についての解説に加え、会場の参加者からの解説やコメントも多岐にわたって盛沢山で、まだ、頭の整理がついていません。

とても、ここに簡単にまとめられるものではありませんし、そもそも、そのすべてをここで取りあげるべきものとも思えませんので(とはいえ、連合国軍専用鉄道客車の形式番号・記号
http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/items/show/1141 の読み方は非常に有益でした)
、今回は、このブログの既存の記事とも関連が深く、そのため「聞きながら目からウロコ」だった、古本さんの「博士の車」の解析を中心にレポートすることにします。

■古本さんは…

元オフロード系自動車雑誌の編集者であることから、その知識と興味をフル動員して、ライブラリ中にしばしば登場する、オースティン博士の「赤いジープ」について

・車種 米国ウイリスオーバーランド車製「CJ2A」の
      前期型 前面ガラスが2枚組のため中央に細いフロントピラーがある
           (後期型は1枚ガラス)
     の
      民生型 スペアタイヤが右後側面に付いている(軍用は後方背面)
            ヘッドライトが大きめ
                         (軍用は民生用より小径
                          【参考】http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/items/show/1127
                   〔左右反転〕フロントウィンドウ下に、いわゆる”1 st, team”のエンブレムが
                   が見える。)

・塗色 推定「ハーヴァード・レッド」
     博士の出身校にちなんで、数ある(赤だけでも3・4種ある)塗色オプション中の
           この「名前」の色を選んだのではないか、とのこと

を解析したのに加え、取り付けられているGHQのナンバープレートについて、2タイプ

・白地に黒文字
・黒?地に黄文字

あって、前者は1946~1948年の間に使われ、後者は1949年に使われていたことを解明しています。

■2種類のプレートのうち…

コレクション中の下北沢を撮影した

下北沢今昔写真+『戦後の下北沢アルバム』の正誤表と編集後記
http://baumdorf.cocolog-nifty.com/gardengarden/2016/08/post-9fe0.html

中の18枚の写真(以下「下北沢シリーズ」という)中には前者のタイプはありませんが、後者については

02 北口駅前通り〔「近江屋不動産」=現・横浜銀行のビル〕
  http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/items/show/679

05 (現・一番街)本通り「稲毛屋金物店」
  http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/items/show/769

06 (現・一番街)栄通り最北端・本通り手前
  http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/items/show/645

の3枚の写真に写り込んでいる博士のジープに取り付けられています。

■ということは…

この3枚については、ほぼ(と、いうのは物理的に付け外しが必要なので、一定の移行期間というか猶予期間があるはずなので)1949(昭和24)年に撮られたことになるのですが、この年は、下記のリンク先のとおり、博士のカメラがライカからキヤノンに変わった時期とも重なります。

この3枚は、時期的にみても、また、

  Dr.Austin のカメラについての仮説
  http://baumdorf.cocolog-nifty.com/gardengarden/2018/04/draustin-e472.html

末尾で指摘したような「色乗りのよい」方の写真といえることから、キヤノンIIb+セレナー50/1.9で撮られた可能性が高いと思われます。

■余談1:オースティン博士のジープの色

・「どの赤」かはさておいて、「なぜ赤」なのか。

 コレクション中の写真をみても、エリザベス夫人を含め、オースティン一家が特に赤い色を好んでいた形跡はありません。

 一方、博士は、日本に、GHQの「天然資源局野生動物課」の課長として赴任しており、自身も動物(鳥類)学者でもあるので、公務の調査や自身の研究のために、このジープで日本の山野に分け入ることを当然想定していたはずです。

 ところで、ハンターは、他のハンターから獲物の動物と見誤られて誤射されるのを防ぐために、赤など自然界では存在しないような派手な色味をものを身に着けることが多いのです。

 また、いかに連合国側が周到に日本の占領政策を事前研究していたとしても、博士の赴任当時、日本の狩猟事情について詳細に分析していたとは思えませんし、まして、日本のハンターの技量について具体的なデータがあったとも思えません。

 博士にしてみれば、そのような状況下での安全策として(軍用色の「オリーブドラブ」は迷彩色とうか保護色なので「危なすぎる」ため論外)、数10色あったうちの赤系統の色を選んだのではないでしょうか。

【追記】

解説文がないので、断定はできないのだが

http://www.flickriver.com/photos/jpl3k/3793457935/#large

によると"1946"年当時の"civilian"(民生)型の色は、戦後まもないため、選択肢が5色に限られ、そのうち赤系統は"Herverd red"1色だけだった可能性がある。

https://www.thecj2apage.com/forums/gray-paint-what-is-it_topic14647.html によれば、年を追うごとにヴァリエーションが増えていったようである)

その5色のなかで、上に述べた「安全色」といえるのは、"Herverd red"だけだろう。

■余談2:下北沢シリーズの「評価」

 つい先日あっけなく、結論にたどりついてしまった

世田谷区内の Dr.Austin の写真をさらに1枚特定
http://baumdorf.cocolog-nifty.com/gardengarden/2018/04/draustin-263e.html

の「山下温泉」についてコメントを求められたので、発掘経過についてご報告させていただいただくのに併せて、オースティン写真に対する当方の評価について、概略以下のようなお話をさせていただきました。

 下北沢シリーズに限っての話かもしれないが、写されているのは、当時「『当たり前』で日常的すぎ」て、日本人がまずレンズを向けなかった光景で、外国人だから撮った写真といえる。

 また、博士が本業で撮っていた写真は(コレクション中にも何枚かその系統のものがあるが)「学術写真」といえ、下北沢シリーズの写真も、同様に対象との間にある程度の距離感を置いて(客観性を維持して)撮っているようだ。

 もちろん、木村伊兵衛も日常的な光景を撮ってはいるが、彼が撮ると(どうしても)「ドラマ」になってしまう。

 しかし、そのような「ドラマ性」は、写真を「テクストとして読む」ときには、かえって障害になる。

 その意味で、博士の写真の「非ドラマ」性は貴重だと思う。

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2018/04/11

世田谷区内の Dr.Austin の写真をさらに1枚特定

■タイトル…

"Yamashita hot spring"

とのオースティン博士の写真。
http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/items/show/585
(左右反転)

(反転後の-以下同じ-)写真左側の花輪に
左の贈呈先に「山下温泉さん
右の贈呈元に「世田谷若代湯田邉 ゟ」
とあることから、世田谷区内の銭湯の開店時の写真と、かねてから見当は付けていたのですが…。

「山下」という場所は、近隣でも旧下代田(現・代沢)と豪徳寺の2か所あることもあって、なかなか位置が特定できませんでした。

■そんな中で…

贈呈元の方の「若代」については、淡島通り(というより、むしろ旧・滝坂道)と堀之内道(略・環状7号)との交点から西方向に「若代商和会」なる商店会があることがわかりました。

Photo_2
世田谷区産業政策部商業課「世田谷区商店街マップ」同・刊/平成25年3月1日現在
より「若代商和会」部分を抜粋

つまり、「若」林から「代」田にまたがる地域であることから、この名前があるようです。

そして、昭和11年の地形社図でこの付近をみると、荏原小学校(現・若林小学校)の北西に銭湯記号があり、

Photo
植野録夫「大東京區分圖 三十五區之内 世田谷區詳細圖」東京地形社/推定S11・刊
の抜粋に補入

まさに、若代商店街の範囲にあることから、どうやら、これが「若代湯」らしいことがわかりました。

■肝心の…

「山下温泉」についても、これまで難航していた割には今朝になって「あっけなく」判明。

https://全国法人データベース.com/companies/1010902015597

によって、「有限会社山下温泉」なる会社が、世田谷区代田に法人登記されていることがわかり、同ページのデータをよく見ると、この会社、2017年9月26日に
 東京都世田谷区豪徳寺1丁目46番16号
から、本店が移転していたことになっており、この旧本店所在地を検索してみてびっくり。

Street view の写真に「羽毛・羊毛ふとん」のお店「越後屋」さんが写っています。

Yamashitahotspringatgoutokuji
google での検索結果の一部

https://goo.gl/maps/vRGmLGWni9n

■この…

「越後屋」なる屋号。冒頭のオースティン写真の山下温泉の右隣の建物の壁をみると
「夜具ふとん」
「〓後屋」
と読み取れるのですから、まず、冒頭のオースティン写真は、この場所で撮られたことに疑う余地はありません。

■しかし…

今でさえ主要道路から外れていて行きにくく、当方のような世田谷の住民でさえ「用がなければまずは行くことのない」道を、なぜ博士が通りかかったのかが、新たな大きな謎として浮かび上がってしまいました。

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2018/04/08

Dr.Austin のカメラについての仮説

■今…

九段の博物館(国立)「昭和館」で展覧会「希望を追いかけて」が開催されている
  http://www.showakan.go.jp/events/kikakuten/index.html

Dr. オリバー L オースティン Jr. が、昭和21年から25年にかけて日本各地で撮影したカラー写真。

   http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/items/browse?collection=1

   なお、当ブログの「下北沢今昔写真」
    
http://baumdorf.cocolog-nifty.com/gardengarden/2016/08/post-9fe0.html
    参照

■一部の…

写真については、スライドのマウント内にパーフォレーションがはみ出しているものがあるので、35ミリ幅のいわゆるライカ版のコダクロームが使われていたことはわかっていたものの、使ったカメラやレンズについては判明していなかった。

■今回入手した…

上記の展覧会の図録(以下「図録」)10ページの写真06の解説をみると、博士は「持参したライカ製カメラをなくしてしまったため」キヤノン製のカメラを「日本で購入した。」とあり、ご子息の許に保存されていたカメラの写真も掲載されている。

これをみると、

・カメラ本体は、
 カメラに向かって上面右上に平坦なファインダー倍率切り替えレバーがあること、
 同じく前面左上のシャッター速度調整ダイヤルの中央にドライバー用の溝が切られていること
 から

キヤノン IIB型
  http://global.canon/ja/c-museum/product/film10.html

と同定できる。

 ファインダ部分は別として、フィルムの出し入れその他の操作がライカと同じなので
  使い勝手に違和感はなかったはずである。

・レンズは、

図録の写真のレンズ部分の正面左上に"SERE"の文字が読み取れ
カメラが1949年(昭和24年)4月発売であること
から、当時の現行標準レンズ(焦点距離50mm)である

1947年(昭和22年)2月発売の
セレナー 50mm f=2.0
  http://global.canon/ja/c-museum/product/s20.html

か、その後継で、先のIIB型のボディーがダイカスト製になった後は、これとセットで発売されていたという

1949年(昭和24年)1月発売の
セレナー 50mm f=1.9
  http://global.canon/ja/c-museum/product/s19.html

この両者は、レンズ正面からでは、銘板が見えないと、ほとんど見分けがつかないのだが、前玉周辺のカラーの勾配からみて(レンズの先端径40ミリを維持しながら、f=2.0 から f=1.9にするため、前玉の口径を大きくした影響と思われる。ちなみに、同じ先端径のキヤノン50㎜ f≙1.8レンズではさらにこの部分が「切り立って」いる)おそらくは後者と推定される。

【追記】

2018年4月14日午後7時から、赤坂のギャラリー&カフェ「Tokyo Little house」
http://littlehouse.tokyo/
で開催された
ギャラリートーク「オースティン・コレクションでの試み 写真のはたらきを考える」

http://baumdorf.cocolog-nifty.com/gardengarden/2018/04/post-6f33.html
の折、頭書「昭和館」の渡邉学芸部長からうかがったお話では、

博士のキヤノンカメラは、当時PX経由で売られていたものではなく、純粋な民生品用として一般市場宛て出荷されたものらしい

由。

■ちなみに…

このIIB型の後継機であるIIIA型は父が使っていたカメラ
  シャッターボタン周囲のカバー、先のファインダー倍率の切り替えレバー、前面左上の
  低速シャッター用のダイヤルの形状が異なる

セレナ― 50㎜ f=1.9は、かつてネットオークションで入手済
  レンズが沈胴式なのでコンパクトに持ち運べるという魅力があった
なので現物の手持ちがある

Draustinscanon
「ほぼ」〔推定〕博士のカメラ

■次の…

課題は、当然のことながら、オースティン博士が「なくした」ライカのボディーとレンズがどの型式だったのか、ということになるが、こちらについては、今のところ手掛かりがない。

ただし、時期、とくに博士の日本への赴任時期に着目すると、ある程度絞り込むことはできそうである。

■博士の…

日本への赴任は、1946年9月とされている(図録p.15)。

この時期のライカ・カメラ本体の最新型は、IIIC〔戦後〕型なのであるが、何分、我が国同様の敗戦国であるドイツ製のカメラなので、戦後、製造が再開された1945年に生産されたIIIC〔戦前後期〕型の製造台数は3000台といわれている(中川一夫「ライカの歴史」写真工業出版社/S54・刊(以下「歴史」)p.65)ので、これを入手することは難しかったはずである。

一方、戦前生産のものをみても、1940(昭和15)年に発売開始(歴史p.65)された前年のドイツのポーランド侵攻によって、ヨーロッパ全体が、最後には全世界が戦火につつまれつつあったので、軍事物資でもある精密光学機械、しかもその最新型であるライカIIIC型を米国で入手することは、戦前でもかなり困難だったのではなかろうか。

■と、なると…

戦前の比較的早い時期に米国に輸入されたカメラを入手していた可能性の方が高く、そうだとすると、1937(昭和12)年発売のIIIb型(米国名「G型」)(歴史p.62)が博士のカメラだった可能性が最も高そうである。

■レンズについては…

上記のような事情を考慮して、1939(昭和14)年までに発売され、また、カラー写真を撮影していたことから、f値の少ない「明るい」レンズとなると

・ズミター 50㎜ f=2.0 1939(昭和14)年発売開始(「歴史」p.63)
 https://news.mapcamera.com/k4l.php?itemid=23344

・ズマール 50㎜ f=2.0 1933(昭和08)年発売開始(「歴史」p.36)
 https://news.mapcamera.com/k4l.php?itemid=20953

あるいは「べらぼう」に高価だったらしいが

   昭和13年当時のロンドンのカメラ店の価格表
  
http://chotoku.cocolog-nifty.com/blog/blog/photos/uncategorized/2012/02/13/photo_2.jpg

・クセノン 50mm f=1.5 1936(昭和11)年発売開始(「歴史」p.49)
 https://news.mapcamera.com/k4l.php?itemid=23340

といった可能性もある。

これらのうちでは、博士の写真をみると、どれも色の表現に破綻が見られないことから、カラーフィルムへの対応が図られていたというズミターの可能性が最も高そうに思われる。

■ただし…

撮影時期が特定されていれば別だが、このライカとキヤノンのどちらのレンズで撮影されたかは判別が難しい。

この時期あたりから、両社は「お互いに相手の製品を意識しながら」レンズを開発していたようなので、撮影された画像を個別にみただけでは、まるで見境が付かない

  http://baumdorf.cocolog-nifty.com/gardengarden/2015/09/sony7r3520-e261.html
  とくに、冒頭のリンク先
   
http://geofoto.web.fc2.com/x100.html
    ページの「2017.3.25」の項参照

ことも多いからである。

やや乱暴に「仕訳」すれば、レンズが開発された年代、つまり、その当時のカラーフィルムの普及度からみて、やや青みがかった落ち着いた色調のものがライカレンズの、やや派手目な色調の(いわゆる「色乗り」がよい)ものがキヤノンレンズのものかもしれない。

Elmar
ズマールもズミターも手持ちがないので、さらに旧いエルマー50/3.5でのサンプル画像
(シリアルレス、かつ半回転ヘリコイドなので、1932〔昭和7〕年製と思われる。
 ハイライトが飽和して少し滲むものの、そのほかは絞り開放なのだが破綻はない。
 いわゆる「テッサ―」型なので、絵が素直なのも好ましい。
 「時代」を勘案すれば、やはり間違いなく「銘玉」である

Serenar
セレナ― 50/1.9のサンプル画像
こちらは「ゾナー」型。

花弁の陰影の表現は、さすがに「時代の差」から、こちらの方が上

「なんだか、今の基準で見ても普通のレンズだよね」という印象だったのだが、
感性の問題もからむので、念のため

http://geofoto.web.fc2.com/x100.html
で見ると、はたして

2018.1.8の項
「中心部の解像感は〔Canon 50mmF1.4S/1.2Sと〕同等にあるし、F8ぐらいに絞ると全体にまったく遜色がない」とあり、さらに、その下の写真のキャプションでは

Canon 50mm f=1,9 とsummitar(ズミター) 5cm f=2.0 を対比して「似たようなレンズだが段違いにCanonが良い。」
との評価だった

【追記】

PhotozShop + Nik Collection(by Google)で、Kodachrome (ただし 64)風のエフェクトをかけてみた

Elmark
Elmar

Serenark
Serenar



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2018/02/02

「かんたん」バッテリー・ケース+SDカード・ホルダ

■デジカメの…

スペア・バッテリーが増えてくると、どうやって 、「安全に‐かつ、コンパクトな形で」という、本来は両立しない2つのニーズを両立させたうえで持ち歩くのかが悩みになる。

■充電のために…

SONYの、NEX-3 と α7R との共用の FW-50 バッテリーを目の前に並べて置いていたときに、ふと思い出したのは、何年も前にどこかの100均ショップで買った「SDカード・ケース」なるもの。

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■しかし…

冷静に考えてみると、多分中学生でもわかることだと思うが、ここまでクッション材でガチガチにガードしなければトラブるようなら、そもそもSDカードなんか実用になるわけがない

 と、いうわけで、もともと家でカードを使うのなら無用の長物だし、外に持ち出してもただの場所ふさぎでしかないので、あっという間に「お蔵入り」にしていた代物だったのだが、唐突に…

FW‐50の2本並んだ状態

とサイズが近そうなことに思い至ったのである。

■さっそく…

我が家の「お蔵」(といえば聞こえはよいが、1階床下の基礎の中のただの地下室)の奥からひっぱりだし

中子のクッション材を取つ払って

FW-50を2本入れてみると…

「ぴったり」

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■とはいえ…

水平の縦横方向は「絶妙」ながら、蓋を閉めた後の上下方向のガタ付きはやや大きい。

 その程度のことでバッテリーの機能に問題が生じるわけではないにしても、持ち歩き時に騒々しいのも困るので…

これまた100均ショップでかつて調達したクッション・テープをケースの底に貼った

Dsc06384004

ところ、ほぼ「ピッタリ」。

■因みに…

取り出した中子は…

カードを保持する機能には何の問題もないので、往々にしてどこかに紛れがちな、オーディオ・データ用のSDカードのホルダとして、「かまぼこ板」にでも両面テープで貼り付け、デジタル・レコーダーのそばに置くことにした。

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■ここまでモノを…

使い切れば、

  • 「勿体ないお化け」 も
  • 「付喪神」 も

我が家を避けてくれるに違いない。

【追記】2018/02/06

■一昨日…

乾電池とファイルを調達するため、笹塚の100均ショップ meets に行った折、SDカード・ホルダを見てみたら…

さすがに「あの」無意味な厚さのクッション材入りのものは無くなっていて、薄手のプラ成形のホルダを使った、幅広・薄型で6枚収納の合理的な製品に代わっていた。

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■買って帰って…

中子を外して測ってみると

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FW-50を3個並べて、なお、20ミリほど余る幅がある。

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蓋もちゃんと閉まるので…

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件のクッション・テープを10ミリ幅にカットしてスペーサ―を作り、3個入りケースの完成。

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2016/08/07

下北沢今昔写真+『下北沢の戦後アルバム』の正誤表と編集後記

〔The Oliver L. Austin Photographic Collection〕

【追記】

本平成20年5月6日まで、九段の博物館(国立)「昭和館」で開催されている「希望を追いかけて」と題する展覧会  
http://www.showakan.go.jp/events/kikakuten/index.html
の会場でも掲示していただいている

【追記】

プレスリリース

http://www.mhlw.go.jp/file/04-Houdouhappyou-12101000-Shakaiengokyoku-Engo-Engokikakuka/0000195653.pdf

Dsc09256ss_3

北沢川文化遺産保存の会
http://blog.livedoor.jp/rail777/

が、2018年3月に発行した「
下北沢の戦後アルバム」表紙の「撮影ポイントマップ

Photo

終戦直後の1946-1950の間、アメリカ陸軍の推挙によって、日本の鳥類の調査研究のために来日していたアメリカの鳥類学者の Austin 博士

   【参照】Full text of
   
"The birds of Japan, their status and distribution, by Oliver L. Austin, Jr. and Nagahisa Kuroda"
    
https://archive.org/stream/biostor-892/biostor-892_djvu.txt

が撮影したカラー写真のうち、下北沢の光景について「今昔写真」をまとめてみました。

ただし、オリジナルの写真については、まだ著作権が残存していますので、

フロリダ州立大学のサイト
http://128.186.155.80/omeka/
中の該当ページのURLへのリンクを、簡単な説明付きで示し、それに対応する「今写真」を掲載することにしました。

リンク先は、右クリックで「新しいページ/ ウィンドウで開く」で表示すると、今昔対比がやりやすいと思います。リンク先の小さな写真(サムネイル)をクリックすると、大きな、というか巨大な写真が表示されます。

*【追記】
非営利目的の当ブログに、オリジナルの画像を直接掲載することについては、このページを当初作成した後に、著作権管理者である米国フロリダ州立大学からご承認をいただいてはいるのですが、
・巨大なサイズの、オリジナルの画像を、そのままこのブログのシステムに転載することは困難である
うえ、
・その巨大な画像データを細かく観察することによって、初めて新しい知見が得られるという面もある
ため、ここでは、従前どおり、オリジナル画像にアクセスできるリンク先をお示しするにとどめることにいたしします。

撮影時期は異なるようですが(渋谷区代々木大山町の「官舎」に住んでいたので、何度も来れたはずなので)、

・下北沢駅の北口から北上
・現・一番街の旧本通
  (下北沢成徳のある十字路と、旧・東北沢4号踏切をつなぐ略東西方向の道)
 を東に向かい
・現・一番街の旧栄通を南に向かい
・旧・東北沢6号踏切を渡り
・下北沢駅南口を経て
・南口通り商店街を南下する

というルート順に並べてあります。

註:本ページは、数多くの部分で、作道敬子さん@世田谷邪宗門、米澤邦頼さんの「聞き込み情報」に負っています。

01 北口駅前から北方向〔「パン近江屋」=現・カルディのビル〕
http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/items/show/781

4

02 北口駅前通り〔「近江屋不動産」=現・横浜銀行のビル〕
http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/items/show/679

6

03 (現・一番街)本通り 宮田家具店
http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/items/show/691

10

【正誤表】

「…アルバム」の同写真のキャプション2行目
誤「画面
下を見ると…」 正「画面下を見ると…」

04 (現・一番街)本通り〔正面奥が「宮田家具店」〕
http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/items/show/759

8

05 (現・一番街)本通り「稲毛屋金物店」
http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/items/show/769

12

06 (現・一番街)栄通り最北端・本通り手前
http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/items/show/645

14

【追記】
 オースティン写真正面の「出雲工業」の移転先と思しき建物を、茶沢通り沿いに見つけました。

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 オースティン写真の画面正面の「出雲工業」は、作道敬子さんの聞き込みでは「この後、代沢に移った」とのことでしたが、2017年1月、茶沢通りでそれらしき建物を見つけました。
 商号に「設備」の2文字が加わっていますが、Dr. Austin の写真の看板の、上部に書かれている業務内容は「電灯 電力 水道 衛生 暖房」、さらに左脇には「ポンプ」とあり、まさに建築物の「設備」関係ですので、まず、間違いないだろうと思います。

07(現・一番街)写真06の撮影位置から南方向を撮影
http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/items/show/729

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【追記】

オースティン写真の中央に、薪を背負った男性がいます。

終戦直後とはいえ、市街地で薪というのも、当初は変に思ったのですが、よくよく昔を思い出してみると、通常の「煮炊き」にはまず間違いなく都市ガスを使っていたはずですが、この時代、風呂だけはまだ薪や石炭で炊くのが普通だったはずです。

筆者の体験でも、昭和36年に世田谷北沢の当地に引っ越してくる前、大井町に住んでいたころは、風呂は薪や石炭で炊いていました
・庭の端に薪や石炭の置場があって、「お手伝い」で風呂を焚いているとき、足りなくなるとそこに取りに行った。
・毎月だったか3月に1回だったか「煙突掃除」の気のいいお爺さんが来て、巨大な試験管洗いみたいなブラシで、煙突内の煤を掃除してくれた。ほおっておくと、煤に着火してプチ火事になる由
・日本で民放のテレビ放送が始まったのは1953年だそうですが、たしか、物心ついた1955年ころには、東京ガスが、ガス風呂釜のCMを流していたと、おぼろげながら記憶しています。

08(現・一番街)栄通り北端・本通り手前
http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/items/show/761

16

09 (現・一番街)栄通りキクヤ文具店の店頭
http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/items/show/637

要左右反転

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10 (現・一番街)栄通り南から4分の1あたりを南方向から
http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/items/show/747

18

11 (現・一番街)栄通り南端(東北沢6号踏切)
http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/items/show/771

20

12 現・あづま通り 現オオゼキ脇から駅南口方向に〔架線柱は「帝都線」〕
http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/items/show/739

22

13 下北沢駅南口駅前〔右端の「果実丸万」=現・マクドナルド〕
http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/items/show/713

24

14 南口通り商店街〔現・DOCOMO・Softbankの間の横道の向かい〕
http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/items/show/725

26

【正誤表】

「…アルバム」の同写真のキャプション3行目
誤「花の店「
花新」は…」 正「花の店「新花園」は…」

15 南口通り商店街 〔現・ミスタードーナッツの角〕を北から〔「配給」との解説付き〕
http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/items/show/639

28

【追記】

オースティン写真の店入口の右上の真新しい木の看板の真ん中の文字。

このリンク先

http://www.chidori-ya.co.jp/hp/profile/history.html
冒頭右の写真を参考にすると、

「食糧配給公團東京都支部委託製麺所」

と読み取れる。

 

16 「砂場」南隣の八百屋店頭〔イチゴの木箱が懐かしい〕
http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/items/show/617

The_oliver_l_austincollection_2

17 南口通り商店街「砂場」南方を南方向から
http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/items/show/779

要左右反転

32

オースティン写真16の左下に木でつくられたイチゴ箱が写っているが、同じく17の(反転後の)右下には女性が木製のリンゴ箱を持っている姿が写っている。
このリンゴ箱、かつては、子供の勉強机とか本棚などの物入れ用に重宝されていて、学校の図書室の本棚に使った例もどこかで読んだことがあるので探してみたところ…

学校図書館 稲田栄四郎

図書館の生いたちは、今の図工室に間借りをしていました。
…給食関係からリンゴの空箱二十六個いただき、紙をはり、これを横に並べて書架としました。時は昭和二十六年でした。なんとか間借りなりにも図書室らしい形ができ…

(同誌編集委員会「池之上小学校 創立二十周年記念誌」創立二十周年記念運営委員会/昭和35年10月30日・刊)

とあった。

18 南口通り商店街南端付近を北方向から〔画面奥の支柱付きの電柱の場所が膳場青果店〕
http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/items/show/745

要左右反転

34

【参照資料】
作道敬子さん@世田谷邪宗門による、膳場家、亀井自転車店、ジーンズIZUMIYA からの収集情報
米澤邦頼さん調達の、昭和37年版住宅地図(住宅協会・刊「北沢三丁目 北部/南部」)
きむらけん先生調達の、昭和9年北澤通商店会編集の地図

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2015/09/23

たかがフード、されどフード Part 2

 スクリューマウントレンズに続き、

ライカMマウントレンズ

 といっても、こちらは、レンズとしての機能よりも、もっぱら、カメラバッグ内のスペース節減のためのレンズのシェイプアップの問題です。

・エルマー135/4.0

 これは、
12575 (旧・IUFOO http://news.mapcamera.com/maptimes.php?itemid=24968 )しかありません。

 時として「神を恐れぬ値段」が付いていたりするライカのフードの中では比較的安価。

 本体のレンズの性格上、使用頻度が低いせいか、ほとんど痛みのない美品・良品を、探しまわるまでもなく入手できます。

 前後ひっくり返すと、レンズの鏡胴に沿ってコンパクトに納まるので、これ以上体積を減らすのは難しく、他にとくに選択肢も思いつきませんので、素直に、新宿の「カメラのキムラ」で中古品を買ったように記憶しています。

・ズミクロン35

 このレンズには、当然、標準仕様のフードである12526が附属していたのですが、せっかくレンズ本体がコンパクトなのに、とくにレンズの光軸方向に長くて嵩張りすぎ、いってみれば「カメラバッグ泣かせ」。

 なにか、もう少しコンパクトにする算段はないかと調べてみたら、nagyさんのこのページ<http://geofoto.web.fc2.com/dangi1.html>で、12504が使え、運がよければ新品が残っていることが判明。

 機会があったので、新宿のヨドバシを覗いたら、そのとおり新品が出ていて、しかも、当時は、下手に「ライツ」ブランドの中古を買うより安いので、さっそく購入しました。

 その後紆余曲折があって、スペアも入手できたので、金属製のこのフードに関しては「生涯安泰」。

 なお、フードの凹みの中心にE46のキャップが止まるので、レンズキャップにも不自由がありません。

・エルマリート28 4th.

 このレンズにも中古で購入時、
12547( http://news.mapcamera.com/maptimes.php?itemid=28310)が附属していました。

 が、その大きさは先の12526以上で、さらに「カメラバッグ泣かせ」のうえ、存在感がありすぎて、これでは、正面からみると、ライカMよりもさらに小ぶりな7Rなので、「さりげなく」写真が撮れるはずが目立ちすぎ。

 もっとコンパクトなフードはないものかと見に行った、またもnagy さんの このページ (http://geofoto.web.fc2.com/leica-lm1.html)の#14によれば、同じライカのズミルクス35用とMヘキサノン28用が使えることはわかったのですが、前者つまり12456はバカ高いうえさしてマスが減るとも思えず、後者はフード自体が希少であるのに加え今はなきミノルタの薄型フィルタが必要とハードルが高すぎることがわかりました。

 ズマロン35/3.5みたいにサードパーティの円形スリットフードでもと考えてみたのですが、ズマロンのE39に比べ、こちらはE46なので上下方向に大きくなりすぎます。

 そんな折、ヤフオクを覗くと、UNの「UNX-8117 ユーエヌ スクエアーフード46mm」( http://www.un-ltd.co.jp/products/new/index02.html )なるものが出品されていました。

 ちょうど12501を光軸方向に押しつぶしたような形で、このUN物のキャップが12501に使える、ということは開口部のサイズもこれと同じ。

 レンズの先端にステップアップリングのようなものをねじ込んで、それにフード本体を取り付ける構造のようなので、ケラれの危険も少ないだろう(ただし、経験上、これだけは「やってみないとわからない」)と判断して落札。

 取り付けてみると、開口部サイズ、全長ともオリジナルとほぼ同じ。ケラもなく、レンズの鏡胴から先端のフード本体までの間も、かの12456より細身にすっきり納まる。
と大正解でした。

【余禄】ライカのフィルタ・リング

 Part 1でふれた、オークションで入手した「脈絡のないセット」。
 テレエルマリート 2nd.用ラバーフード
 ライカ シリーズ6 UVフィルタ
 フィルタリング 11251
  フィルタリング 14160×2
 というもの。

 当時必要だったものは最初のフードだけだったので(と、いっても手持ちのものに若干ヘタリがでてきていので、それが破損したときのスペア用。まぁ、最悪の場合は12575を使えばよいのですが、このラバーフードのコンパクトさは捨てがたい)、以来、約5年間お蔵入りしていたところ、ここにきてフィルタと11251が活躍の場を見出しました。

 残るは2個の14160で、これはシリーズ6フィルタの固定用リングで、ネジ径はE44らしい。

 ライカカナダ製であることは刻印があって疑う余地がないのですが、少なくともM系のレンズでE44口径というのは聞いたことがない。おそらくR系のレンズ用と思うのですが、さて、どんなレンズ用なのやら。

 以下、わかった範囲で…
    型番  フィルタ    ネジ口径

11251   :S-5.5  39
14160 :S-6 44 
14161 :S-7 54
14225 :S-7 55
14165 :S-8 72

【追記】
    14160 fur Summicron-R 50

                                     写真後日追加

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たかがフード、されどフード Part 1

ライカ系レンズのユーザには…

「フード病」といって、とりわけ古典的な、IUFOO とか ITDOO といったフードにこだわり、中には、それぞれ何ヴァージョンも集めるような「やまい」の感染者が結構いるようです。

 最近のケースでは、フードについては、これが面白い。
 JR-EASTの木村文乃さん出演のCM「行くぜ。東北」の、2014年冬版。

http://www.jreast.co.jp/ikuze/cm/2014_winter.html

 ライカM4+エルマリート90に、IROOAじゃなくってIUFOO がくっついているのがマニアック(骨董クラスというほど旧いレンズじゃないので、それほど半逆光に弱くはないでしょうから、機能的にはこれで済むかも。ただし、テレエルマリート2nd.のラバーフードと比べると少し浅いようですが)

が、今回は…

そういった面もないではないのですが、それよりも、機能や遣い勝手の問題です。

 キヤノンFDレンズを使っていた学生時代は、フードが嫌いで、とくに標準~広角系ではフードなしで撮っていました。当初のFDレンズ用のフードは、リン青銅板を使った(後になって軟質プラになった)ロックが甘く、すぐにはずれる*のでかえって「足手まとい」でしたし、プロテクト用のフィルタは必ず付ける主義なのでレンズの保護用としてならフードを付ける必要がなかったせいもあります。

*忘れもしない島根県の松江城。ゆるい石段の上でFD100/2.8からフードが外れて…
  カラン、カランと石段を10数メートル転がり落ちて行き…
 最後に、排水枡の鉄格子の中に消えてゆきました。
  かわりといっても、当時はプラ製になってしまっていて…
 亡くしたのと同じ金属製を再入手できたのは、ほぼ20年後

 しかし、M6などレンジファインダを(再び)使い始めると、一眼レフと違ってファインダで(ゴーストは好きなので大歓迎なのですが)フレアが確認できないので、そのリスク回避のため、フードに気を使わざるを得なくなりました。

まずパート1では、スクリューマウント系から…

・キヤノン28/2.8

 レンズが奥まっているので(後部も、マウント後部から飛び出していないので、光学系が非常に薄い設計であることがわかる)、メーカーもフードの使用を想定していなかったようで、当時のレンズのカタログを調べても、このレンズ用のフードは発売されていません。

 むしろ困ったのはフィルタで、普通の厚さの枠のUVやスカイライトを付けると完全に隅がケラれてしまいます。

 キヤノンの場合、それはわかっていたようで、E40の超薄枠のフィルタを発売していました。おそらく、50/2.8(後述)にくっついてきたと思われる、すでにガラスのコーティングが剥がれて使い物にならなくなっていたのが1枚ありましたので、ガラスを外して枠だけにし、E40.5のフィルタのこちらはガラスの方だけを取り出してレンズの先端に落とし込み、上から枠をねじ込んでガラスを固定して解決。

 この状態で、α7Rでも、問題なし。

・キヤノン35/2.0

 フード自体は、レンズのクモリで退役したキヤノン50/2.8
http://web.canon.jp/Camera-muse/lens/s/data/50-85/s_50_28v2.html )に、上記の薄枠フィルタと一緒にくっ付いてきたと思われるキヤノン純正の50/35兼用のものがあったので、それが使えそうでした。

 この50/2.8、テッサー型のため絵が素直なので
http://baumdorf.cocolog-nifty.com/gardengarden/Takayama1968.html の大半はこのレンズで撮っている)、ほとんど「真っ白」になるほどのクモリさえ出なければ今でも現役だったでしょう。

 もっとも、普通のフィルタを付けた上にフードをかぶせると、周辺部がケラれてしまうことがわかり、オークションで、先の薄枠フィルタをもう1枚入手して解決しました。

 しかし、フィルムカメラのときはそれで問題なかったのですが、7Rに付けると周囲がケラれます。さりとて、これ以上薄いフィルタというのも考えにくい。

 そこで、フードにシリーズ6フィルタが組み込める構造になっていることから、5年ほど前にオークションで入手した、テレエルマリート2nd.用のラバーフード、フィルタ・リング2種3個(後述)という「脈絡のないセット」の中にあって、使い途もないのでお蔵入りしていたライカ製シリーズ6のUVフィルタを組み込んだらケラれが解消できました。

 ただ、今度は、レンズの絞りリングと、フードの基部とがほぼ密着状態に近くなったので操作がしにくくなってしまったのですが、この解決策はまだ見つかっていません。

【追記】2018/03/18

我が、ネット上の写真の師 Maestro Nagy の web

デジタルカメラ・レポート
http://geofoto.web.fc2.com/x100.html

「2018.1.2」の項に

「どうやら、当時のCanonはレンズフードを逆光対策にギリギリまでハレ切りをしていたようだ。当時の純正フィルターはねじ込みタイプでも、現在の極薄フィルターより薄く作ってあり、フィルター前面にネジを切っていなかった。そしてフードは鏡胴先端に取り付けるカブセ式だった。」

とあった。なるほど、納得である。

・カラーへリア75/2.5

 このレンズは、シルバー仕上げと黒仕上げがあったのですが、どちらも、レンズと同じ色の、フードと、そのフードにかぶせるキャップが一式で発売されていました。

 少しだけですが黒より安いので、シルバー仕上げを買ったのですが、フードもシルバー、キャップもシルバー。

 キャップはともかく、レンズ本体とフードが同じ色では間が抜けてしまうので、仕方なくフードを黒く塗装しようかと思っていた矢先、有楽町のビックカメラで、スペア用の黒フードを売ってましたので、速攻で購入。

 当時話題になったが、コシナの黒フードは、アルミの地肌に一旦真鍮色を付けた上に黒ペイント塗りしていて、ペイントが剥がれると真鍮の地肌「モドキ」が現れる仕掛けになっているにが嬉しいところ。

 しかし、肝心のレンズの方にクモリが出てきたのは困りもの。修理といっても3万円近くかかるようですので、そのうち現物を確認できる中古品のクモリのない出物を探すそうかとも考えているのですが、テレエルマリートと焦点距離が近いため持ち出す機会も少ないので、そこまでする必要があるかどうか…。

 もっとも、2月ほど前、とある小学校の教室で行われた、ちょっとした講演会に持ち出したところ、引きのスペースの関係で、まさに90では長すぎ、50では短かすぎで、75がぴったりの焦点距離だった。

・ズマロン35/3.5

 お気に入り中のお気に入りレンズなので、本当は純正フードを付けてやりたいのは山々なのですが…

上のキヤノン35/2.0と同じ問題で、
12504(http://news.mapcamera.com/maptimes.php?itemid=26939)をつけても、
12538( http://news.mapcamera.com/maptimes.php?itemid=27927
いわば12585 http://news.mapcamera.com/maptimes.php?itemid=25915 のプラ版)をつけても、
絞りリングとフード基部がくっついて操作がしにくくなります。

 その点では、
IROOA(http://news.mapcamera.com/maptimes.php?itemid=24907)でも同じだと思いますので、残るのは、レンズ先端の溝にひっかける固定用の「爪」の部分が、ほかのと違って後端ぎりぎりのところにある
ITDOO( http://news.mapcamera.com/maptimes.php?itemid=24603 )位。
しかし、いまや値段が値段であるうえ、上のリンク先の一番上の写真(Mマウントのズマロン・サンハン)をみると、やはり苦しそうな位置関係にあり、買ってみたはよいが「外れ」だと、このフード、ほかに使い途がないので、手が出せないでおります。

 というわけで、サードパーティーのねじ込みタイプのスリットフードを使っていますが、結局、これが格好の上でも、コンパクト化する上でも、一番納まりがよいようです。

 最初は、MSオプティカルさんのMS-39 を、今はなき青山のレチナハウスで購入して使っていたのですが、テーブルにレンズの真正面からぶつけてグシャグシャになってしまい退役。
 そのときのような過大な力が加わったときに、レンズでなくてフードが壊れるというのは正解ではあるが、フードの先端部を2ミリ角のステー4本だけで支えるというのは、さすがにちょっと弱すぎると判明(格好、精度とも抜群だが、このときはフィルタ枠まで歪んだので、厳密に言えばファイルセーフにもなっていない)。
 
7Rになって、スリットが不要になったこともあり、ステーの太いタイプを使っている。

 車が典型だが、過荷重の加わったとき、どこが壊れるようにするかは、設計上重要な勘所。ちなみに、7と7Rについては、マウントの爪がプラ製であることが当初懸念されていたようだが、考えてみると、レンズに過荷重が加わった時に、この爪が先に飛んでくれれば、レンズや本体のフレームのダメージを最小限にとどめる効果が期待できる。とくに、当方の使い方だと、MマウントとFDマウントのコンバータの交換のときにしかここは外さないので、磨耗については心配しないで済む。

・ズミクロン50

当然、別格のAPOズミクロン50じゃなくて、無印の現行品。ただし、スクリューマウント。

 これだと、M6に35、キヤノンPに50といった使い方もできますし、最短撮影距離が60cmと1m程度の違いでは大差ないのでこちらを選択しました(もっと寄らなきゃいけないときは、1眼レフを持ち出せば済む)

 このレンズの組み込みフード、出たときから評判が悪いようですが、やたらに浅いのは、それだけ逆光に強い自信があるから、と解釈できるものの、ちょっとした力ですぐ引っ込んでしまうのが困りもの。

 ステップアップリングを、先の12538を付けるアダプタにできないかと試行錯誤してみたのですが無理。

 最近になって、ライカのE39用ラバーフードのラバー部分をはがすと、これらのフード用のアダプタが作れることがわかった( http://leicam240.exblog.jp/21890874 )。このフード、テレエルマリート用のスペアを持ってはいるが、とても勿体無くてできない。

 そこで、ふと思いついたのが、前に書いたオークションでこのフードと一緒に落札したフィルタ・リングでした。

 ライツ・カナダ製の11251というリング、もともとは、シリーズ5.5フィルタの押さえ用らしいのですがネジ部がE39らしいので、試しにフィルタの先にねじ込んでみると、残念ながら12538用のアダプタには、径が大きすぎてならなかったものの、あら不思議、リング自体が組み込みフードとぴったり同じ深さのフードになってしまいました。

 これなら、かさばらないし、フードの出し忘れの心配もないという、一石二鳥なので、当分、これでゆくことにしました。

                                         今後写真追加

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2015/09/20

SONYα7Rでオールドレンズ:キヤノン28/2.8 ライカスクリューマウント

M6TTL入手後…

とにかくも。そのファインダにフレームのある焦点距離(28-35-50-75-90‐135)のレンズをそろえようと、比較的早い時期に入手したレンズ

http://global.canon/ja/c-museum/product/s36.html

で、銀座のレモン社さんに「出合い頭」みたいにあった委託販売品で、確か\35,000だったと思います。

 28ミリレンズというのは、それまでかつて、持ったことも、使ったこともない(学生時代は、常用レンズは24ミリと100ミリ。少し「大人になって」からは35ミリと50ミリ。「あえて」挙げれば、オリンパスのμ-wide80の広角端が28ミリだったが)うえ、今の状況なら迷うことなくコシナのカラースコパー3.5なのでしょうし、「純粋に光学機器としてみれば究極」みたいなツアイスのビオゴンもあるのですが、当時は、

高すぎてハナから論外……ズミクロン
高いしでかい………………エルマリート
やや高くてでかい …………ウルトロン1.9/ヘキサノン2.8

そうなると、コンパクトなレンズをといっても
高いしめったに出ない…… リコーGR/ロッコールG
そこそこ出るが「持病」が…ロッコールM
                (「銘玉」との評価は高iい。大阪で、現地の中古カメラ屋さんに価格
                 的には出物があったが、後々のメンテナンスを考えて見送った)

(当時は)現行品で安いが
ネット上の評判はイマイチ…アベノン

と、まぁイザとなると、迷いに迷う状況だったのです。

そんななかで…

気にはなっていたことが、私の方では「ネット上の写真の師匠」と、勝手に一人決めしている(と、いっても実際には2度お目にかかっているが) 京都の nagy さんが、
http://geofoto.web.fc2.com/leica-lm1.html
で、このレンズのことを「隠し玉」と評していることでした。

 ただ、このレンズ、調べてみると(当時は「ライカブーム中」だったので、中古カメラ屋さんも多く、「相場」や「出現率」を調べるのが簡単だった)、出れば安いというかリーズナブルだが、 先のリコーGR/ロッコールG以上に出てこない(多分、このレンズの場合、愛蔵率が高いのではなく、製造数が少ないうえ、買った人は必要があって買ったので使い倒しているせいではないかと思います)ので、ほとんど考慮の外にあったレンズだったのです。

なお、 http://homepage3.nifty.com/baumdorf/KimuTaka/Camera/Camera09.htm の末尾ご参照

手に入れてみると…

当時すでに発売(1957年)から半世紀経ているとは思えない「絵」を叩き出してくれることがわかりました。

 とはいえ、
・不慣れな焦点距離であることに加え
・キヤノンPやIIIAの場合は外付けファインダ必須
・M6TTLでもファインダの端に近いフレームのためなかなかフレーミングが難しい
・やはり35ミリ重視にならざるを得ず、ファインダに×1.25のマグニファイヤを付けた

というわけで、使用頻度が非常に低くなってしまいました。

しかし、一眼のα7なら…

ファインダのフレームの問題はなくなります。

 ことに、このレンズ、非常にコンパクトなので、バッグの空きスペースのどこにでも滑り込まることができます。

 通常は、必須のレンズは35-50-90なのですが「もしかしたら、要るかもしれない」というとき、隙間に入れておいて、今後活用できる可能性がありそうです。

 これまでに、それなりに「気持ちのよい絵」を作ってくれたこのレンズ。限界とポテンシャルを確認する意味でテストしてみることにしました。 

 ズマロン・サンハン同様、丸ビルに持っていったのですが、東京駅の赤煉瓦では「近すぎ」て、テストになりにくい。

Dsc04690s

Dsc04690c
中心部

そのため、同じビルの某別の場所で…

開放では…

Dsc04683s
全体を縮小

Dsc04683c
中心部

Dsc04683r
右上

Dsc04683l
左下

上の東京駅のドームの画像を含め、やはり全体に甘いし、周辺光量落ちもあるのですが、1957年発売という「骨董クラス」のレンズとは思えないことも確かです。

f=5.6では…

Dsc04692s
全体を縮小

Dsc04692c
中心部

Dsc04692r
右上

Dsc04692l
左下

やはり…

開放でも、甘い描写とはいっても、半世紀前の、この明るさのレンズとしては、コントラストが低い(といっても、raw現像や photoshop で十分対応可能なレベル)ことを除けば、むしろ驚異的。

 5.6まで絞ると、コントラストも上がるうえ、隅の部分はさすがに「周辺光量落ち」が残るものの、解像度は実用上問題ないレベルです。

 これなら、要らないだろうとか、重さやスペースの都合でエルマリートを持ち出せないときなどに、コンパクトなので、「保険」として、ちょっとしたポーチに入れて、ポケットやバッグの隅にすべりこませておけば、イザというとき、少し絞り込んで使えば、どうしても「引き」がとれないときなどの救世主になりそう(もっとも、そのときカメラに35ミリがついているなら、引いちゃった方が、レンズ交換なんかするより手っ取り早いと思いますが)

Dsc04684s

 つまり「隠し玉」じゃなくて「隠し持ち玉」

 加えて、FDなどの一眼レフ用のレンズを含めても、ズマロン・サンハン、エルマー135とならぶ、「見た目が最高に綺麗」なのも嬉しい(とくに、絞りリングが後期のアルミではなくて、真鍮製なので)。

 

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