2017/11/20

世田谷区立郷土資料館「地図で見る世田谷」展〔続報〕

■標記の…

特別展

http://baumdorf.cocolog-nifty.com/gardengarden/2017/11/post-1467.html

図録の付録のDVD。

 図録に収録されているデータが「そのまんま」3サイズでpdfファイル化されて収録されていて、pcの画面上で拡大して細部まで見ることができる。

 とくに、最も高解像度で大きなサイズの

 book_h.pdf

は約420メガバイト。

 世田谷全体の図についてはさすがに苦しいものの、それ以外の、領域が限定された地図の場合は、拡大すると細かい文字まで読み取ることができて、非常にありがたい企画である。

■残る…

問題は、世田谷全域を対象とする地図で、その典型例が図録056~058の

「大日本職業別明細図」 3葉。

 このシリーズの「商工地図」と呼ばれる民間地図は、世田谷周辺では

・渋谷区については、
  大正14年版と昭和3年版の2種のレプリカが、同区教育委員会から発行され

・杉並区については、
   同区のwebサイト「すぎなみがく倶楽部」 https://www.suginamigaku.org
   昭和8年版が掲載され
   https://www.suginamigaku.org/docs/his_yoshida.pdf

ているのに対し

・世田谷区については
   柏書房「「昭和前期 日本商工地図集成 第1期 首都圏編」
   http://www.kashiwashobo.co.jp/book/b228364.html
   中にモノクロで復刻されている昭和12年版を見ることができるだけであった。

■今回の特別展では…

昭和7年版、10年版、12年版が一挙に公開されて、図録やそのDVDにも収録されているほか、12年版についてはレプリカ(ただし、渋谷区のそれと違って裏面のインデクスはなし)が図録の付録に付くという大盤振る舞いである。

■しかし…

さすがに、幅約80センチのこれらの地図の場合、幅約3000ピクセルの高解像度版ですら、どうやってみても細部の文字までは読み取れない。

 そこで、幸い同館は、ノンフラッシュならば(というより、ガラス越しなのでフラッシュを使うのは逆効果でしかない)写真撮影可能なので、去る16日に、デジカメ(SONY α7R)にマクロレンズ(Canon NewFD 50/3.5)を付けて、レプリカのある昭和12年版以外の下北沢駅周辺と世田谷中原〔現・世田谷代田〕駅周辺の部分を撮影してきた。

■先ずは昭和7年版

・下北沢駅周辺

S07s
・世田谷中原駅周辺

Dsc08579s_2


■次いで昭和10年版

・下北沢駅周辺

S10s

・世田谷中原駅周辺

S10s_2

【余録】

・下北沢駅周辺広域版

S10s_3

■まちの…

歴史の貴重な史料である。

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2017/11/08

世田谷区立郷土資料館「地図で見る世田谷」展

■世田谷区上町の…

標記「世田谷区立郷土資料館」で
平成29年10月28日(土曜日)から12月3日(日曜日)まで開催。
http://www.city.setagaya.lg.jp/event/1991/d00155970.html

 詳細は、こちら
http://www.city.setagaya.lg.jp/event/1991/d00155970_d/fil/dayori67.pdf

■何といっても…

「ほとんど宝箱」と推定された「DVDの付録」付きの図録が魅力でしたので、昨7日
「図録が売り切れてしまう前に」
というわけで、時間をやりくりして、今朝アサイチで同館に寄ってきました。

■期待に違わず…
   
 厚さ約1センチメートル(ノンブルがないので総ページ数はカウントしていない)の図録には、付録として、そのpdfを収録したDVD、、さらに加えて昭和12年版の職業別明細図のレプリカ付き。

 内容は、もう世田谷の地図だらけ(画像は、そのインデクス・ページ)。

Thumnailm_2

 DVDに収録されている画像も、世田谷全域の図となるとさすがに苦しいのですが、地域を限った図だと、細部の文字まで読み取れる高解像度です。

 いや、手に入れられて、というか、手に入れそこなって後悔しなくてよかった。

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2016/10/25

補助26線 新情報〔その2〕

ちょっとした切っ掛けで…

こんな
http://www.geocities.jp/jotaroweb/topi/16102202.png
画像がみつかった。

 ご近所(ときどき構内のイタリア料理店や生協の学食を利用させていただいている)なので、散歩地図にもなるというありがたい構内図だった。

実は…

東大先端研/生産研の敷地については、もう1枚「お宝」画像をセーブしている。

 ただし、今ではWeb上から消えてしまってるので、リンク先を示すことができないのが残念だが…。

【追記】

別ブログで、「『お宝』画像」を引用する機会ができました。

http://mitaditch.blogspot.jp/2017/09/blog-post.html

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2016/09/18

補助26号線 新情報

国会図書館の…

「都市計画東京地方委員会常務委員会議事速記録. 第5號」
のうち、昭和9年5月23日の61~77コマ

・ 常委議第四十二號 東京都市計畫道路及同世田谷町道路中變更ノ件(補助線道路第二十號及世田谷町道路第四號路線關係)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1264616/61

で、
「三角橋付近ニ航空研究所ガ在リマスガ此ノ研究所ハ大正十五年八月ニ恰度此ノ路線ノ計畫ヲ決定致シマス前カラ建築ニ着手シマシテ、爾来八年間ヲ經テ漸ク航空研究所ガ完成シタノデアリマスガ此ノ研究所ノ非常ニ重要ナ施設デアリマス鑿泉ト水槽、貯水池、消音装置トイフヤウナモノガ恰度此ノ路線の中ニ入ルコトニナリマスノデ、此ノ儘執行致シマストソレガ全部移轉シナケレバナラヌノデアリマスガ、他ノ施設トノ關係デドウシテモ移轉スルコトガ不可能ナ状態ニナッテ居」ること
「ソレカラ北のノ方デ此ノ路線ト補助線二十八號路線ト交會シテ居リマスガ、其ノ交差ノ角度ガ交通上適當デナイヤウニ思ヒマスノデ成ルベク直角交叉ニ變更シタイ」
として、現・補助26号線のうち、ほぼ井の頭線の辺りから三角橋にかけて、当初の計画から西に寄せることを決議していることがわかった。

つまり…

現・補助26号線は
大正15年8月に敷設が決定
昭和9年5月に路線を一部変更
して今日に至っていることになる。

図は…

議事録添付の図面2種をそれぞれ photo shop で接合したもの。

20sc_2

Sc

【追記】

この委員会決議についての、内閣による認可の指令案

件名 :  東京都市計画道路及東京都市計画世田谷町道路中変更ノ件

が、こちらは、国立公文書館のデジタルアーカイブにあることが偶然わかった。

http://www.digital.archives.go.jp/das/image/M0000000000000282591

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2016/06/07

補助26号線沿革

今現在でも…

そうなのですが、品川駅から、下北沢など「東京の西郊」の地域に車で移動しようとすると、駅前の柘榴坂を上り二本榎を抜けてから桜木通の高輪台に出るまでは、狭い道をすり抜ける必要があります。

 品川駅は港区にあるのですが、本当の品川区にある大井町駅から西郊に抜ける場合もほぼ同じで、昔伯父が住んでいた大井町から北沢に戻るときも、山手通りに出るまでかなり手間取りました。

 この、補助26号はそういった品川区北部の区民(実は、私も大昔はそうだったのですが)には救世主のような道路のようです。

もともと…

このあたりの道路計画は、関東大震災後の東京復興計画が、その後の人口の郊外への移動にともなって拡張された計画の所産なのですが、そのため、この補助26号の線引きができたのは、他の東京の中心部の道路に比べてやや遅れたようです。

 いわゆる民間地図を含めると、ですが、
 大正14年の「最新大東亰地図」には、山手通り(環状6号)と環状7号のルートは、緑色の線で描かれていますが、この補助26号は影も形もありません。

 これが、昭和5年の「東京府荏原郡世田谷町全圖」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1142506
になると、この補助26号のルートが点線で表示されていますので、

2654

この道(と、下北沢で騒々しい補助54号)はどうやら昭和の初期に敷設が決まったらしいことがわかります。

 以後、手許の民間発行の地図には、ほぼ例外なく、補助26・54号は点線などで、ルートが示されています。

S08r26
「東京全図」S08(部分)

では…

公的な地図ではどうかというと、土木建築工事画報昭和14年1月号44ページ
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/gaho/kenchikukouji/15-01/15-01-2737.pdf
に掲載されている「東京都市計画道路図」には、

・補助26号の三宿・甲州街道間が、
    東京「市」が将来施工する区間
・補助54号の東大裏・環状7号線間が、
    東京府が昭和14年度までに施工を終えるべき区間

として表示されています。

S12

 このうち、

・補助54号の環6との東大裏交差点-三角橋間は、昭和12-14年ころ拡幅が終わっているようですし、
http://baumdorf.my.coocan.jp/KimuTaka/HalfMile/KomabaMichi.htm
後半の「昭和天皇行幸説!?」参照)

 これに加えて、

・三角橋の少し西での、将来の補助54号のルートへの道路の付け替え

のほか、
 補助54号の三角橋交差点南東部分は、どうやら補助26号線との接続工事が間近に予定されていたらしく、長く歩道の工事が行われていませんでした。
http://baumdorf.my.coocan.jp/KimuTaka/HalfMile/KomabaMichi.htm
の末尾近く参照)

その後…

約4分の3世紀経って、ようやく動き出したのですが、計画当初の道路幅は15m。

On
復興局・編「都市計画道路網図」同/1928・刊(抜粋)
https://www.timr.or.jp/library/docs/mrl0911-OY-1-130-2.pdf

まぁ、このときはまだ帝都線(現・京王井の頭線)はなく、かりにあっても、当時なら踏切で平面交差させればよかったでしょうが、今となっては立体交差にしないと朝夕は間違いなく渋滞必至ですので、交差部の前後で走路幅が多少膨らむのはやむを得ないのかもしれませんが、それにしても

http://baumdorf.cocolog-nifty.com/gardengarden/2015/07/26-ac6e.html

のように、幅員33メートルというのはナンセンスでしょう。

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