飛騨高山 1968年夏

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ほかのはともかく、このカットだけは、我ながら「木村伊兵衛してる」と思います


もう40年も前の1968年7月半ば、高校の自転車部の合宿が飛騨高山で現地解散になり、宮川朝市の写真を撮ってから、父の田舎の滋賀県の大津に回り、その後東京に戻ったと思います。

飛騨高山も、祭りの時期は別だったでしょうが、まだ観光客もまばらなころでした。

この後数年*して、街の旧市街にあった「旅人宿」という大きな看板を掲げた古い旅館(久田屋さんというらしいです)を舞台にしたサントリーのコマーシャルで、、飛騨高山が大ブレークしたと記憶しています(その後、郡上八幡-確か渥美清主演のドラマがありましたっけ-、そして風の盆の越中八尾、今は飛騨古川?)

*追記[2008/01/28]
サントリーのコマーシャルは、翌年の1969年だったことがわかった

http://members.at.infoseek.co.jp/nie_zemi/funaki.htm
本当にラッキーな時期に行ったことになる

「ディスカバー・ジャパン」という、国鉄(現・JR)のキャンペーンの影響も大きかったとは思いますが、あのサントリー・オールドのコマーシャルのインパクトは強烈でした。

その後で、「遅れて」高山に行った友人によると、件の旅館の表には「サントリーの宿」という看板が出ていたとか…。

早く行っておいてよかった。

いまとなっては、どこをどう歩いたか、記憶も定かでないので、ネガ番号の順番で。

【こうやってみると、結構懐かしい車が写っています。《緑字》にご注目下さい】

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で、まずは、後の「サントリーの宿」。久田屋さん
*上三之町12

  「一泊二食付 壱阡弐百万両/学生割引致します」とあります。
このころ、普通の地方都市の旅館の、ごく普通の宿泊代でした。
こうやってみると、前夜、合宿の打ち上げに郷土料理店で食べた定食は、今から思えば高校生としてはえらく贅沢だった(たしか、1000円位だったと思います。毎年度、部員に一人は食い道楽がいて、一点豪華主義で、毎回1度は旨いものを食いました。)ことになりますが、いや「沢蟹」のからあげが美味しかったのなんの…。

追記[2008/01/28]
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ちょっと、コマは前後しますが…久田屋さんのお隣
  *上三之町13 かうじ屋(現・株式会社大のや醸造)さん

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これもコマ順不同
  大のやさんが、久田屋さんに向かって右の隣なのに対し、こちらは左の隣
  * 上三之町10 清酒山車(さんしゃ)の醸造元、原田酒造場さん

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《ゴミ収集車「トヨタ トヨエース」(初代)・左端は「ニッサン(ダットサン) コマーシャルバン》
   *下三之町114付近 柴田善次商店さんも現役

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《車種不明》

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この坂口屋さん        も、久田屋さんと同様に、今は料理屋さんになっているようです
画面右手前は、水車の仕掛けですが、今では、からくり人形を動かしている模様
*上三之町90

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《「トヨタ パブリカ」(2代目)》
   *上三之町93 付近
  右の清光堂さんも、業種は変わっているようですが現存

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右が 久田屋さん
《左端の後姿は、たぶん「スバル サンバー」》
*上三之町12 付近

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朝市だけでなく、行商も重要な流通チャンネルでした
* 堀端町130 付近

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とにかく、やたらに日差しの強い日でした

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観光朝市ではなくて、本当に生活に密着した朝市でした。写っているのは、梅干し用のアカジソ

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大豆と卵と「すだち?」と煮干しを売っていたオジサン

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「事件は目の前で起こっているんじゃない。後ろで起こっているんだ!
冗談はさておき…

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前夜は、確か、お寺の宿坊のユースホステル(たぶん ここ)に泊まったと思うのですが、同じ宿に慶大の写真部が合宿していました
洗面所を1箇所まるまる暗室にして、現地で現像・焼付までするという、かなり大掛かりなものでした

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皆さん「いい顔」していました。「おねいさん」も、「おばちゃん」も、「ばぁちゃん」も

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ほかのカットからみると、今も健在の
*上三之町8 にあった
倉坪さん   の旧店舗の店先だと思います
「骨董」ではなく「古物」という看板が奥床しい(今の基準では、どれも「骨董」クラスの品揃えですが)

  耳のついた板が積んでありますが、多分水車板。
  舟板と同様、長年水に洗われて、木目の浮き出た、一種の「ヤレ」が風情の板ですが、この時代、まだこんなにごっそりとあったのですねぇ。

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*堀端町135
 清水菓子店さん?
  《右奥で、こっちを向いているのは「三菱 コルト800」》

手前の看板の「なるせパン」は健在どころか、むしろ今「気を吐いて」います。
くわしくは、 ここ 。
  本体は、 ここ の2005年9月11日の記事参照。

しかし、久田屋さん、坂口屋さん、倉坪さんそしてなるせパンさん(写真としてはイマイチなので、ここには載せていませんが、旅館の「吉野屋さん」も)と、目につく看板を次々に「ぐぐる」と、今も健在なお店が多いのには、ちょっと感動します。

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*島川原町

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*馬場町
《「マツダ 軽ピックアップ」かと思います》

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造り酒屋の杉玉(酒林)を見たのは、初めてでした
「たまのい」というブランドから、二木酒造さん   とわかりしました
*上二之町40

   《左中央奥は「ススキ スズライト」(2代目)じゃないかと思います》

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この後、昼過ぎの急行で岐阜に向かったと思います。

さすがに、もうディーゼルカーでしたが、当時は、こんな特急が走るようになるとは、想像も付きませんでした。

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2003年8月20日 高山本線・高山   

大津までは、当然東海道線(在来線)の急行だったと思いますが、はて、大津からどうやって東京に戻ったのか、全く思いだせません。

写真が残っていないところをみると「素直」に戻ったのだとは思いますが、新幹線は高校生には高いし、さりとて、在来線の急行は激減していたし…。

いやいったい、どうやって帰ったんだろう?

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