ご先祖様の「痕跡」〔大津事件〕

■明治中期に…

この国を大きく揺るがした大事件の一つとして

明治24(1891)年5月11日、滋賀県大津市市街で、おりから訪日中だったロシア皇太子ニコライ(後の皇帝ニコライ2世)を、その人力車の車列の警護の任にあたっていた、滋賀県警の巡査津田三蔵が襲撃した、大津事件 があります。

■この事件については…

・「司法権の独立」の問題
   新井勉「『大津事件』の再構成」
を始めとして、
・津田を制止した人力車夫の後日談
         15.大津事件・余聞 | 京都ホテルグループ (kyotohotel.co.jp)
果ては
・ニコライの傷をぬぐった布に付いた血による骨のDNA鑑定
   ようこそ医薬・バイオ室へ「DNA鑑定って何だろう」 - 日本食糧新聞電子版 (nissyoku.co.jp)

など、様々な観点から採り上げられているのですが…

■当方にとっては…

そのようなことは、極端にいえば「どうでもいい」こと。

 と、いうのは、当方の興味*は、この5月11日に起こった出来事に尽きるからです。

 なぜなら、この人力車による車列の先導のために、その先頭(たしか進行方向左側)注:後記岩波文庫版で確認】から2台目の車に乗っていたのが、滋賀県警の警部木村武、当方の曽祖父だからなのです。

*と、いっても、これ
 番外編・土屋華章のご先祖様たち-その①土屋惣蔵昌恒- | 土屋華章製作所 (tsuchiyakasho.jp)
 ほどスゴイ話ではないのですが。
 なお、この土屋主税家については、
https://wheatbaku.exblog.jp/15878047/ も興味があるのなら参照。

■しかし…

今から20年ほど前までは、事件後の日本政府や今の最高裁長官にあたる大審院院長だった児島惟謙に関わる情報はそこそこ(といっても本当に「そこそこ」)あったものの、事件そのものに関わる情報は極めて乏しく、わずかに

尾佐竹 猛・著/三谷 太一郎・校註「大津事件ーロシア皇太子遭難」岩波文庫(青182-1)/1991・刊  *

掲載の車列の略図の中に、曽祖父の名前が見える程度だったのです。

*我が家の書庫にあるはずなのだが、すぐには見つからない。蔵書が後から出てくることも考慮して、今回は単なる「情報源」なので、新本ではなく、アマゾンで古書を発注した

■ところが…

この連休の少し前、毎回送っていただいている古書市の目録を見ていたら、

児島惟謙「大津事件手記」築地書房/S19・刊

S_20210510225501

が出品されていることがわかり、一も二もなく発注しました。

■この連休中に…

同時に発注した目黒区史と一緒に届き、B5見開きで本文140ページ程度だったので、さっそく流し読みして曽祖父の名前がないか探すと…

あった!

pp.30-43にある、明治24年5月18日付けの「豫審判事土居庸太郎意見書」中2か所に、滋賀県警部*木村武の名が記されている。うち、最初の1か所には

「同日午後一時五十分頃露國皇太子殿下ノ一行ハ豫定ノ如ク同所ヲ通御アラセラレ、被告ハ殿下ノ御召車ノ近ツクヲ見ルヤ否ヤ直ニ進ミ寄り、帶劔ヲ引抜キ殿下ノ御頭部目掛ケ御着帽ノ上ヨリ斬り付ケ尋テ又一刀斬り付ケタレハ、殿下ニハ聲ヲ上ケサセラレ直ニ御召車ヲ飛ヒ下リ、難ヲ避ケントセラレンヲ被告ハ尚一刀斬リツケントスル際、皇太子殿下ノ、右側後押シナシ居リシ車夫和田彦五郎ノ爲メニ左ノ横腹ヲ突力レシモ、其儘抜刀ヲ振リ翳シツツ、二三歩追尾セシニ其際殿下ノ後列ニ居給ヒシ希臘親王殿下ハ直チニ御車ヲ飛ヒ下リ、當時携へラレタル竹鞭ヲ持テ被告ノ頭部ヲ連打シ給ヒシ爲ニ被告ハ稍其気勢ヲ失セシ所へ、露国皇太子殿下ノ御召車ノ左側後押ヲナシ居リシ車夫向畑治三郎ハ、後ヨリ被告ノ兩足ヲ捉ヘ力ヲ極メテ引倒シ、被告ハ爲メニ俯伏セニ地上ニ倒レ其ノ際携へ居リシ抜劔ヲ取落シタルヨリ、希臘親王殿下ノ御召車ノ右側ニ在テ後押ヲナシ居リシ車夫北賀市々太郎之ヲ拾ヒ上クルヤ否ヤ、直二被告ノ後頭部及ヒ背部二斬り付ケ尋テ、露園皇太子殿下ノ御召車ヲ引キ居リシ車夫西岡太郎吉及ヒ前顯和田参五郎、向畑治三郎ノ三名モ共二力ヲ添へ取押へ居シ折柄、當時先駆タリシ滋賀懸警部木村武ハ直ニ其場ニ駈ケ付ケ、被告ヲ取押へ巡査江木猪亦、藤谷幹一ノ兩名ニ命シ捕縛ヲナサシメタリ。」

とあります(2か所目は、いわば証拠のリストなので、ここでは意味がない)

*我が家では、これまで、一貫して曽祖父の階級はなぜか「警部補」ということになっていた。
 裁判用文書に書かれているのだから、どうやら「警部」が正確のようである。

■加えて…

これだけの大きなしかも著名な事件なので、ここ10年ほど充実の一途を辿っている、国立公文書館のアーカイブ中に何か記録があるのではないかと考えて探してみると

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中、

⼤津事件○雑
https://www.digital.archives.go.jp/item/629301

の36-37ページに、押印があることから、

Photo_20210511125201

曽祖父の直筆と思われる

露国皇太子殿下御遭難ニ関スル景況上申書

がありました。

0816_1

0816_2

 

 現代なら、報告書あるいは供述書と表題が付くだろうこの文書ですが、しかし、達筆というか悪筆というか何といってよいかわからないのですが、要するに「読めない」(実際、下記の写しにも明らかな判読の誤りがあった)。

 幸い、同じファイルの中に「写し」があって、こちらは比較的素直な文字なのである程度までは読むことができ、なんとか文字起こし(「翻字」)をした、暫定訳は以下のとおりです。

「露国皇太子殿下御遭難ニ関スル景況上申書

明治廿四年五月十一日午後第一時三十分頃露国皇太子殿下人力車ニテ本縣廳御發車西京ヘ御帰還在ラセラルルニ付小官ハ本縣知事ノ前車ヘ乗車シテ御先導ノ途次大津町大字下廣崎ニ於テ御列中ニ異様ノ聲ヲ聞キシニ付何事ナラント後辺リヲ顧リミレバ豈ニ図ン殿下ヘ對シ何者カ不敬ノ挙動アリシ実況ナルヲ以テ容易ナラサル事ト存し即時車ヲ飛下リ夢中ニ現場ヘ駈付クレハ殿下ニハ御負傷在ラセラレシ御模様ニテ何ノ図ラン行凶者タルモノハ巡査津田三藏ト云フモノニテ誰レニ斬ラレシカ頭部辺ヲ負傷シ其場ニ倒レタル際ナル様子ナリシヲ以テ直ニ此ヲ取押(此取押ノ際小官ハ抜剣セルモ犯人ハ最早暴行ノ模様ナキヲ以テ刀身ハ鞘ニ納メタリ)ヘ最寄ニ居リシ巡査(氏名ハ誰ト記憶セサルモ壱両名程居合セシ如ク思考仕候)ニ捕縛セシメ而シテ雑踏シツツアル拝観者ヲ厳重制止警戒中一行中ノ陸軍将校其他ノ各位ヨリ急速医師ヲ呼來レトノ急命アルニ應シ人力車ニテ大津公立病院ヘ駈ケ付ケ院長野並魯吉外壱名ヘ急行来場ヲ請求シ右両名を引率再ヒ車ヲ飛ハシ現場ノ近クヘ達セントスルヤ既ニ殿下は縣廳ヘ人力車ニテ御戻リ在ラセラレントスル折ナルヲ以テ殿下ヲ縣廳マデ御警備仕リタル次第ニテ御先導ヲ為シナカラ斯ノ如キ異状ヲ防御シ奉リ得サシハ実ニ恐入リタル〓〓ト候得共殿下ト御先導ト間に数名ノ乗車アリ自然三十間程モ隔離アリシヤト存セラレ前顧ノ出来事ノ発端を察知スル事能ハサリシ〓実以テ遺憾ノ極ミニ存候
右ハ小官カ目撃且従事セシ現場ノ景況如此ニ御座候條此段上申仕候也

明治廿四年五月十一日

                    滋賀縣警部 木村 武

滋賀縣警部長 齋藤秋夫 殿」

 

【参考】上記⼤津事件○雑」中の「現場略図」

0816_s

関連位置図

S_20210510233101
M22測 1/20000 迅速測図・仮製図「大津」〔部分〕に地点名補入