中村研一「食べ物ありてこの世は愉し」

食べ物ありてこの世は愉し

 

 

 

 

 

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                                  中村研一 画も

 

 

 

 

 

 じゃがいもが、フランスにひろまったおこりをご存知ですか。

 

 昔話しによると、こういうものは、どこでも、同じことで、初めは、あんなバカなものを食えるか、とか、病気になるとか言うんで、誰も相手にしなかったらしいんですね。

 

 ところが、ルイ十四世のときに、巴里近郊の領地に、高い塀をずっとめぐらして中が見えないようにして、「この中の物を盗んだ者は鉄砲で撃つぞ」という、札を立てたんだそうです。

 

 そして、その中でじゃがいもを作った。

 

 すると、なんだか知らないけれども、そんなに、値打ちのあるものなら、ひとつ、盗んでやれ、というわけで、みんなが盗みにきた。

 

 王様のほうは、もちろん、そうさせるのがねらいだったから、昼はいかめしく番兵をたて、夜は番人を引っこめてじゃがいもを盗ませた。

 

 はじめのうちは、あんなバカなものをといって食べなかったフランス人が、そうやって非常に値打ちのあるものだ、と言われてみると、急に、食べたくなって、食べてみた。食べてみるとこれはうまいじゃないか、というので、フランス中にひろまった、という話です。

 

 いまでは、上は大統領の食卓から労働者のつつましい食卓に至るまで、すべての人に愛される食べものです。

 

 

 

 

 

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ビフテキを焼いたあとでゆでたポテトをいためる

 

 友人の一人が、八ヵ岳の高原で作ったじゃがいもを、毎年、一俵ずつくれるんです。うまいいもでね、その一俵を、地下室においておくと、僕ら夫婦が、まず、一年分はたべるだけあるんです。

 

 じゃがいもは、どうやって食べても、おいしいが、フリット、僕は、あれぐらい質素でうまいものは、ないと思います。日本ふうにいうと、フライドポテトですか、あれがあれは、なんにもなくてもいいんです。

 

 長方形に、四角に切ったのもいいし、三角に切ったのもいいし、揚げたてに、パセリのみじんと塩をパラパラグと振りかける、その塩ひとつで、まことに、うまいものになります。

 

 巴里じゃ、もっとも、ぼくが居たころの巴里というのは何十年もむかしのことだと、ご承知ねがいたいんだけれど……、しかし、こんなことは、多分かわってないでしょう。

 

 じゃがいもを、皮ごと茄でたのを、売ってましてね。もちろん、冷えてますが。働く女の人達が、これと、牛肉一切れを新聞紙につつんでもらって、宿に帰ってくる。

 

 部屋の隅のアルコールランプの上にフライパンをかざして、まず肉を焼く、ビフテキですね。

 

 ビフテキが、日本でもこのごろはやってきたのは、結局、あれが一番かんたんで、栄養のある料理だからでしょう。

 

 そして、肉をジャーッといわして、ビフテキが焼き上ると、そのあとに、一緒に買ってきた、茄でたじゃがいもの皮をむいて、片手に小刀をもって、チョイチョイチョイと切って、なべに入れる、そして、ジャーッといわせる。

 

これに塩を振りかけて食う。まあ、うまいもんですよ。

 

 なにを好んで、このごろのひとが、インスタント食品はかり食うのか、僕などには、わけがわかりません。

 

 このあいだ、長野の善光寺へいったときに、面白いものを買ってきましてね。四、五十センチもある、木のコブで作った、まあスリコギの、うんと先の太いような棒ですがね。

 

肩叩きにするものですが、パイプになるように細工なんかしてあって、僕が、これを買って、持って帰ってきたら、みんなが笑うんですよ。長野の町のひとまでが、不思議そうな顔をして眺めてましてね。同行の友人たちもいったい、なににするんだ、というのです。

 

 フランスにはね、これに似た道具があるんです。先のはうが、まるくなっていて、ちょっと、日本のキヌタ、あんな感じです。それで、なべのなかで茄でたじゃがいもを、つぶすんですね。便利なもんですよ。

 

 僕が、長野でこれをみつけたときに、にぎりかげんがちょうど具合がいいから、それに使ってやろうとおもったんです。

 

 ただ、先のほうのかっこうがうまくないから、カンナでけずってやろうとおもっているんです。

 

 私は若いとき巴里で、手術のため、長いあいだ病院に入院していました。ちょうど四十日も絶食させられたのですが、毎日、夕方になると婦長が、はかの患者に柄の長いスプーンで、じゃがいものピュレをたべさせているのを、実にうらやましく思ったことでした。

 

 じゃがいもの話がでると、この時のピュレのことを思いだし、それだけで、口につばきがたまるんです。

 


野球は外野席でいいから弁当は上等のを食べたい

 

 会社の廊下とか、裏口のすみに、ソバのザルとか、ドンブリとか、ラーメンのあの中華ふうのドンブリなどの残骸が無残に重ねられていますね。

 

 このごろは、いくらか大きい会社など、食堂があって、割合安い値段で、昼飯を食わせるらしいけど、それにしたって、たいしたことは出来ないにきまっています。

 

 どうしてみんな、弁当をもっていかないんだろうね。前の晩のご馳走でもなんでもいいじゃないですか、それを、奥さんにとっといてもらって、そういうものを入れて、亭主が大事そうに手にぶら下げていけば、いいと思うんですがね。

 

 一つは、あのアルミの弁当箱、あのカタチが悪いんじゃありませんか。あれじゃ、たいしたものは入りませんね。

 

 僕は、終戦のときアメリカの弁当箱をもらったが、テレビや映画などを見てると、これを学生も使ってるし、労働者も使ってるし、相当な暮しをしている連中だって、どっかへ行くとき、それを持っていってますが、ああいうのがあると、いいんじゃありませんか。

 

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 でなければ、昔、よく僕は、中国の弁当箱を買ってきたもんですが、まるくて、いくつもだんだんになっていて、カチッと止めるようになってるのがあるでしょう。
 ああいうものを使えば、もう少し、いまのガサガサした世の中は、楽になるとおもうんですが。
 あのうすっぺらなアルミの弁当箱では、せいぜいが、ご飯を入れて、海苔をのせて、しよう油をぶっかけたぐらいのことしか、できません。もっとも、今の電車のこみ方ではねえ。
 いつか、友人が見ろ見ろといって、切符をくれたので、妻と、西鉄とジャイアンツの試合を、見にいったんですよ。
 なんかそれはいい席でね、僕らは、ただの切符をもらったんだけど、入場料は、たしかプレミヤムで買った高いものらしかった。
 そのとき、野球を見ながら食おうとおもって、弁当を持っていったんですが、隣りに、どっかの大学生がいましてね、これがやはり、弁当を持ってきてるんです。僕らが、弁当をひろげはじめると、その大学生も、例のアルミの弁当箱をだして食べはじめたんですね。
 べつに、見るつもりはないんだけれども、ああいう狭いスタンドでしょう。つい、眼に入ってしまうんだな。そうして、その大学生の食ってるものをみると、こちらは、なんだか悪いような気がして、食えないんですよ。
 僕ら、サンドイッチを持っていったんですが、そのサンドイッチは、うち製だからパンにバタをたっぷり塗って、カラシを塗り、レタスが敷いてあって、厚いハムだとか、ローストビーフだとか、そういうのが厚目にはさまっているでしょう。みるからに、こっちの方のは栄養的なんですね。
 ところが、となりの大学生がなにを食ってるかというと、あのアルミの弁当箱にご飯をつめて、上に海苔がはってあって、しよう油でビショビショにそれがぬれている。そして、カンナクズみたいなイカの佃煮があるでしょぅ、白いゴマみたいなのが、少しかかっている、ヘンにあまったるいそんなのを食ってるんですよ。
 僕は、そのとき思ったんです。私がこの学生だったら、野球を見る方は、外野にして、入場料の八百円の中から、もっとよい弁当を食うと思いますよ。五百円の弁当を食って、三百円の席へ行ったほうが、ずっと合理的ではないでしょうか。
 これは、屁理屈じゃありません。
 なにかこう、うまいものを食ってやろうと、年中かんがえているような旺然たる食欲、それがないような、人間は、私は文明人じゃないとおもうんです。

 


日本の十一月はなにもかもうまくなることに鶏が

 

 朝、床のなかで、目を覚ますと、さて今日は、なにを食おうかといったふうで、なんか見ると、これをどうして食ってやろうかと、勇気ごときものが、からだの底から導きでるようでないと、本当の食いしん坊じゃないと思うんです。

 

 僕の国のほうの伯父で、非常に食いしん坊がいましてね。このあいだ、九十才で亡くなったのですが。田舎の、物持ちで、彼流にうまいものを食うことしか考えていないような人でした。

 

 この伯父は、自分の蓮池に鯉を飼ってまして、ときどき見まわっては、あれは三年鯉だから、今度、誰衆がきたら、鯉こくにして食ってやろう、なんていうふうでした。

 

 ニワトリにしたって、今度はあれをつぶそう。しかし、あれぐらいのお客じゃ、まだこれを食うには価せん、なんていう風でした。

 

 トリといえば、日本くらいトリのうまいところは、ないですね。それも、むかしの地ドリね、あれはうまかったですよ。

 

お国自慢になりますが、私の故郷は福岡県で、宗像郡というところなんで、古事記にあるでしょう。

 

 天照大神と須佐之男命が、こどもを作る競争をして、そのとき、天照大神の息から生まれた神さまが三柱あって、第一が奥津島比売〔おきつしまひめのみこと〕、つぎに狭依〔さよりひめのみこと〕、それと、多岐都比売〔たきつひめのみこと〕、この三人のお姫さまの生まれた土地、古事記には、胸の形と書いてありますが、その筑紫の宗像なんです。
 だから、僕らは、日本で最高の、天孫中の天孫人種だと思い込んでいるんですよ。
 その宗像の地ドリというのは、福岡県でもむかし、非常に珍重された、いいトリだったのです。

 

 色は茶褐色で、僕らには、なんだかキジとニワトリの合いの子みたいに思えるんですが。もっとも、いまはレグホンとかコーチンとかが入ってきましたから、地ドリも、駄目になってしまいました。

 

 その地ドリも、殊に、秋の終りがうまいんです。その頃、田んぼに、稲がたわわに実っているでしょう。トリを、その田んぼに追っばらう。すると、落穂もつつくだろうが、実ってるのもつつく。そういう新米を食った、地ドリのうまさといったら、なんともいえません。

 

 いったいに日本の十一月という月は、なにもかも一斉にうまくなりますねえ。昔でいえば、新嘗祭、十一月二十三日ですか、とにかく暮ちょっと前です。

 

 たくあんの新しい口をあける。米は新米。そして、トリがうまいとくるんですからね。このトリをすき焼きにして食うんです。

 

 僕らの国のすき焼きというのは、要するに焼くんだから、水を使っちゃいけない、こういうんですね。

 

 トリのおなかの中に卵が千成びょうたんみたいに、大きいのから小さいのまでつながって入っでるようなのがあるでしょう。そういうニワトリな骨ぐるみ、たたき切るんです。脂がいっぱいのっていましてね。

 

 そこで、なべに砂糖を入れる。砂糖をなべに入れると、キャラメルができて、焼きつかないもんですよやこの砂糖のなかにトリを入れて、ねぎを、東京あたりじゃ白いのを食うけど、僕らのところは、青いので、これがうまいんですね。

 

 それに、蓮根も、ちょうどそのころは、初蓮根で、そういえば、このごろの蓮根は、私らは、西洋蓮根といってますが、カリカリで、うまくなくなりましたね。昔、僕らが食った蓮根は、やわらかくて、なんともいえない風味があって、いいものでした。

 

 とにかく、それに里イモとか、豆腐とか、そういうものも入れて、糸こんにゃくも入れますね。

 

 その上から、ジャーッとしょう油をかけて、焼くわけですよ。

 

 それにもまた、いろいろ流儀があって、ニワトリを下に入れて、ネギを上にかぶせる、それがいいんだ、という人もあれば、逆に、ネギを下に敷いて、上にニワトリをのせて、そこへしょう油をかけたほうが、いいという人もあるし、やりかたはいろいろですが、とにかくあの宗像の、地ドリのすき焼きのうまさは、忘れられないものです。

 

 ところで、さっきいった食いしん坊の伯父、これがそういうすき焼きをやる時ほ、けっして自分では先に手を出さないんです。もっぱら、入れ係、まぜ係というわけで、みんながうまそうに食べるのを、見てるのです。

 

 そして自分ほ、モツとか赤身のところを、ちょこんと、横のはうから取って食べてるんです。

 

 やっぱり、ふだんから食いしん坊だったから、うまいとこを知ってるんですね。

 

 日本じゃどういうわけか、トリの白いところを、ササミなんかをうれしがって食べるようですが、外国人だと、焼いたニワトリは、どっちかというと、足のはう、つまり赤身のはうが上等だとおもっているようです。

 

 だから、トリを一ぴき焼いてお客に出すときは、その好みの方をきいてさし上げる、だまっていれば足の方をすすめます。

 

 私の地方では何かことがあれば、トリ飯を作りました。これは冬、野鳥でも作ります。トリの脂の多いのをたたき切って、なべにその脂を入れてよくいため、その脂の中に米を入れ、ごぼうか何かを切りこんで、しよう油か、上品ぶるときは塩で味をととのえ、たき上ったところで、せりとか春菊をみじんに切ってふりかける。トリの脂で米が光るぐらいのが最もおいしい。

 

 こんなのは、あるいは長崎あたりから来たオランダ流か中国流が影響してるのかも知れませんね。

 

 

 

 

 

束京ではどうしても味が出せない北九州のがめ煮

 

 

 

 昔、下谷に、きくのやという、早くいえば一膳めし屋がありました。

 

 岡田三郎助先生が、非常にごひいきで、亭主ときれいなおかみさんとでやっている、うまいもの屋ですね。そこの亭主が、こんなことをいってました。

 

 日本中どこの地方の料理だって、こさえろと言われれば、大低のものは出来ますが、どうしても出来ないのが一つある、北九州で「がめ煮」というのがそれだ、というんですね。

 

 がめ煮というのは、早くいえばうま煮ですが、それが独特の味なんです。

 

 蓮根、ごぼう、里イモ、こんにゃく、にんじん、それに銀杏など。そして、骨のついたニワトリを入れて、煮上げるんですが、きくのやのおやじが、どうしても出来ないというのは、あの独特の風味なのです。

 

 あの、九州の赤土で出来た、ああいう里イモが東京にはない。それから、さっきもいったが、蓮根がカリカリの蓮根でしょう、これじゃあしかたがない。

 

 むかしの蓮根というのは、やわらかくて、モチモチして、はんとにいいものでしたが。

 

 僕らの子供の頃は、掘りたての蓮根を、蓮根田のほとりで泥のついたまま焚火の灰のなかにつっこんで、焼いたものです。頃合いをみて、焚火から取りだす。そして皮をキューッとむいて、塩なり味噌なりをつけて、糸のひく奴を、ふうふう吹きながら食べるんです。とても、うまいものでした。

 

 そういう蓮根が、今はないでしょう。だから、きくのやのおやじがいうように、東京では、本当の「がめ煮」は作れないでしょうね。

 

 三升鍋というんですが、大ぶりの鉄鍋に、まずトリの脂をいれて、その脂で、ぶつ切りにした骨付きのトリを妙めましてね、そこへ、いま言った蓮根なり里イモなり、ごぼう、にんじんを入れてよくいためるのです。

 

 やはり、ほとんど水は入れないで、しよう油と、砂糖で味をつけ、煮上げると、蓮根の筋っぽい粘り気とか、里イモのズルズルしたところとか、それがうまくトリにまざって、重箱などに入れると、底の方や隅の方になってくると、ドロドロになったのがトリの脂のゼラチンといっしょになって、大げさにいうと、味の協奏曲ですね。それはうまいんです。

 

 今でも、正月になると、いちおう、うま煮と称するものを作ってもらうんですが、西洋蓮根のガチガチを、小さく切ったり、上に青豌豆なんかちらしたりするけど、まあ国の味を思い出して、うまがってはいますが、とうてい九州の「がめ煮」のような味には、及ぶべくもありません。

 

 むろん、それは奥さんがわるいわけじゃないんですし、どこの郷土料理でもそんなところはあるものでしょう。

 

 第一、東京じゃ材料がないし、かりに九州からイモなりなんなりを送ってもらったって、食べた経験がない人が作ればうまくできる筈はないんです。

 


やわらかく煮たにわとりとそのスープで煮たお粥

 

 フランスに、プーロ・リ(Poule au riz)というトリ料理があります。

 

 日本人なら、まず百人が百人、茶碗むしだったら食べる、とすると、フランスでは、ポトフとかこのプーロ・リというのは、まず百人が百人好きですね。これは、本当は百姓がもう使いものにならなくなった古いメンドリで作る料理なんです。

 

 これを、プーレ・オ・リという人がありましたが、プーレというのほ、オンドリです。オンドリは、やせていて脂がないから、こんなもので作ったのでは、うまい道理がありませんし、第一勿体ない。めんどりですよ。プールを使うんです。

 

 「リ」というのは、「米」です。つまり、メンドリと米をいっしょに煮た料理ですね。

 

 フランス人の好きな王様で、アンリ四世というひとがいました。あの王様がいった言葉に、こういうのがあります。わが治世になったら、農民も、一週間に一度はプーロ・リを食えるようになるであろう。

 

 それをマネしたのかどうか、エリオがはじめて政権を取ったとき、労働者の天下になったら、一週間に一度はかならず伊勢えびを食えるであろう、と約束した。そしたら、一月もたっても、その伊勢えびの値が下らなくって、みんな、「エリオ、下れ」と、どなったことがありました。

 

 たしかにアンリ四世のはうが、エリオより賢かったとおもいます。

 

 このプーロ・リを、僕のうちでは、フランスでやるのと多少様子をかえて、作ります。

 

 

 

 

 

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 トリは、よく肥えて脂ののった古トリ一羽、それを、少し大き目の深いなべ、スープなべにいれて煮るのです。

 

 そのとき一緒に、野菜をいれるんですが、にんじんとか、それに玉ねぎの中くらいのを三つもいれますか、そのほか、日本ねぎも適当な大きさに切って、なかでバラバラになるといけないから、糸でしばっていれます。

 

 それと、本当なら大根を入れるんですが、これが、日本の大根だとどういうものか、きたない言葉でわるいけど、オナラくさくなるんですよ。だから、日本じゃむしろ蕪がいいと思います。

 

 これも、一人前、大ぶりのを一切れぐらい、それににんにく、パセリ、ローリエ(月桂樹)の葉っぱなんかの香り草を入れます。

 

 本当は、そのとき一緒に、お米を洗っておいて入れるんですが、どうもわれわれは、お米がそういうトリや野菜と一緒に混ってるというのは、感覚的にまずいものですから、うちじゃ、別にお米だけ煮るんです。まあ、煮るといっても、そのスープでおかゆにするのです。

 

 いずれにしても、そのトリや野菜を深なべに入れて煮ていくんですが、よく料理の本など見ると、かならず煮ていくと、こう、泡が立って、アクが上に浮いてくる、それをすくえ、というんですが、やるにこしたことは無いでしょうが、そんなことはどうだってよい。

 

 もうそのまま、とろ火でゆっくり煮ていくので、あれでやっばり、三時間から四時間くらいは煮るのかもしれません。

 

そして、煮上ったら、家中によい香りが充満します。いまいった、別にそのスープで煮ておいたおかゆを、大きなお皿の上にまず敷く、その上に、ニワトリをとりだしてすえる。それから、まあ、まわりに野菜をならべて、食卓のまんなかに出すのです。味は、塩コショーでなべの中でつけておきます。この料理は熱いのをフウフウいいながら食べるのが身上で、冬の料理ですが、これは、客が来たときなどは、非常に効果がありますね。

 

 

 

 

 

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 だいたい日本人は、ニワトリ一羽というと、非常にご馳走だとおもうクセがある。そこで、大きなお皿に、ニワトリが、丸ごとのっかってくる、うまそうに野菜が湯気を立てておる。それをみると、これは大へんなもてなしをうけたと、おもってくれるのです。
 とにかく、なるほど皿の上では、ニワトリはかたちになっていますが、じ.つさいは、トロトロ、トロトロと煮込んだんですから、もう少し持ち上げると、こわれるぐらいに、柔らかくなってます。
 ところが客のはうほ、ニワトリを口に入れて、これはよく煮えてますねえ、とフウフウいいながらよろこんでいますが、じつは、よく煮えてるということは、おいしいところは、みんな外へ出てしまってるということなんです。
 本当は、下にあるおかゆがおいしくなってるんです。ところが、我々はおかゆはしょっちゅう食べてるもんですから、どんなにおいしくても、あんまり有難がらないんですね。
 ところがフランスじゃ、トリはしょっちゅう食べてるけれども、米はそうはいかない、これをやるときは、わざわざ百二十五グラム入りという袋に入った米を買ってきまして、やります。
 いずれにしても栄養たっぷりで、おなかがすぐ一杯になる。それに、なべからフォークとナイフでそのニワトリを皿にあげる、これは亭主の役目ですが、この気持がまた、なんともいえん楽しいもんでしてね。
 ドーミエのデッサンに「ラ・スープ」という題のついてるのがあって、貧乏な家の台所、そこの大きな、スープ入れから、湯気がモウモウとあがっている。
 そのまわりに、子供たちが皆、雀の子みたいに口をあけて待っている。ああいうのを見ると、本当にこう、なんか食いもの好き、食いしん坊の気持に、グッとくるものがありますよ。
 ああいうデッサンをみて、身内から武者ぶるいするような、うーん一つ食ってやろうというような気持、それが起こらない人は、いくら賢そうなことをいっても、ほんとうは食いものを論ずる権利はない、と思います。
 オツにすまして、扇風機の横や、クーラーのそばで、ほんのちょっとつついては、どこそこの、なん日ごろにとれたなにはうまい、などと、小賢しいことを言っているのは、言語道断というべきでしょうね。

 


破戒坊主からもらった身にしみるせんべつの言葉

 

 学生のころ、京都に下宿をしていましてね。知らずに宿にしたのですが、これがならず者の宿だったんです。

 

 隣りの部屋に妙な男がいて、一日じゅう裸でいて、外に出るときは、その裸の上に、詰め襟の洋服をひょいと引っかけて、カンカン帽をかぶって出かける、といったふうで、いったい何をしているのか、見当がつかないような男です。夜は、同宿の者とバクチをうってるらしくって、チャラチャラ、チャラチャラという音がするんですが、なにしろ、バクチということはどういうことか、僕は知らなかった時代でした。

 

 そんなふうだから、こっちは少しばかり敬遠して、まあ、つきあってたわけです。

 

 たいてい夕方になると裸になって、ふんどし一つで、裏の縁台で涼んでいる、その男が「中村はん、きなはれ」てなことをいうんです。

 

 出てゆくと、その頃の河原町、あのへんも田舎でしてね、裏庭一面に植えてある里イモの葉に、月がこう、キラキラ光っていました。

 

 その男は、豆腐一丁買ってきて、それをしゃじですくいながら食べては、横にある一升びんから一口飲む、また豆腐をすくってペロリと食う、一升びんを持ち上げて飲む、といったことをやっているんです。

 

 そして、「どないだす、中村はん、古今集なんてややこしいもんや、でも何んとかいう歌はこの感じだすなあ」そういって古今集の歌の一つを口ずさむのです。そして涙をうかべたりするんです。イモの葉っぱに光っている、月の光を肴にして、飲んでるわけですね。

 

 後で分ったんだが、この人は、保険の勧誘員をしていたらしく、やほり仲間が近所にいて、その仲間には、馬鹿な子がいました。

 

 この古今集の先生は、そのころ、万朝報という新聞があって、それの漢詩に応募してるんですが、よく賞を取るのです。すると、いつもその賞金として一円送ってくる。

 

 その一円を、この先生、自分は貧乏してるくせに、隣りのすこし足らぬその娘に「おい、これ君にやるわ」といって、おしげもなく呉れるのです。

 

 「なあに、鳥鹿な子がよろこびよりますねん」そんなふうに言って、笑ってました。どうも、見当のつかん男だと、僕は思ってたのです。

 

 するとある日、「中村はん、あてかてこれでちょっとした者なんです」といいだして、今日は、あてのええとこを、ちょっと見せましょうか、ついてきなはれ、とこう、いうのです。

 

 それで、ついて行ったところが、深草のなんとかいうお寺でした。

 

 そのお寺の入口に入るやいなや急に威張りだしして、「おい、坊主おるか」てなことをいって入っていくんです。

 

 ここは昔、何々上人という偉い坊さんがいた寺で、例の遊女高尾の墓も、ここにあるんです。

 

 この寺へやってきて、「どや中村はん、見てみなほれ、これがここの寺の大将でっせ、これが、僕にお辞儀するやおまへんか、面白いでしゃろ」てなことをいうんです。

 

 だんだん聞いてみると、この男は、実は、いまの住職の兄弟子だったそうです。

 

 小僧の頃、よく出来て、一生けんめい学問をしたんですが、それを見込まれたのでしょうね、還俗して、日本橋の株屋の養子になったらしいのです。

 

 ところが、それからがさんざんで、株はしくじる、借金は山とこさえる、とうとう東京にはおれなくなって、奥さんや子供たちとも、離ればなれにならねばならんようになって、昔の古巣の京都へ来て、年中ゆかた一枚で、豆腐を食っては、一升酒を食らっとると、いうわけです。

 

 その人が、僕が東京にゆくというときに、「中村はん、東京にいかはるんやったら、お餞別を上げたい、とゆうても、物で上げられんさかい、いいことを一つ教えてあげましょう」

 

 「人間はねえ、衣食住というものが大事ですよ」とこういうんです。

 

 「しかし、そのうちで、衣は、あなた、欲をだしはじめたら、もういくら金があったって、足らしまへんで。あてみたいな「ゆかた一つ、寒くても暑くても、よれよれのそれでも暮せます、風邪さえひかにゃあ、それでよろしいのや」

 

 「それから住です。家もあんた、建てたいといぅ気になりだしたら、伊藤博文みたいな家建てたかて、それで満足することは、おまへん。人間は住むとこは要するに座ぶとんの大きさがあったら、それでよろし」

 

 「しかし、食いものはね、とくべつ高いものを食やあ、別だけど、当り前のものを食っとれば、天子さまが食わはったかて、あんたが食うたかて、ようするに、腹一杯になるのは、おんなじこっちゃ。欲ばっても食いためもできません。大金持の大倉喜八郎が食うたかて、おんなじこっちゃから、食いもの、これにはぜいたくしなはれよ」

 

 「食べものは、なんぼぜいたくしたかて、たかがしれとる。腹が一杯になったら、それで終いや」そういうことを、餞別に話してくれたんです。

 

 そのときは、ただ、そういうものかなあと思って、聞き流していましたが、しかし、どういうものか、これが一生、忘れられない言葉になりましてね。

 

 徒然草に、生きてゆくために止むを得ない四つのものは、衣食住と、そして薬だといって、「この四つ欠けざるを富めりとなす、この四つの外を求め営むをおごりとす」という、条がありますが、私などあの章をよむたびに、この人が酔顔もうろうとして、私に餞別してくれた姿を、今でも思い出しますし、これが、私の生活の指針のようなものになって、今日にいたってるようにも思うのです。

 


画室の夕ぐれストーブでことこととスープが歌う

 

 

 

 

 

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 アメリカで、バーベキューというのが流行っているでしょう、日本でもそろそろ、真似をしはじめてるようですね。
 どうしてあれが、流行っていると思いますか。
 僕にいわせると、例の白いピカピカした台所が原因ですね。いまの日本の奥さんたちには、アメリカ式のそういう台所、ダイニングキッチンというんですか、あれが夢らしくて、オーブンの横になにかタイマーがついていて、ニワトリならニワトリを焼こうとおもうと、それをガチャンと入れて、こっちをカチッとやると、何分何秒のところで、ニワトリは焼き上っているし、こっちではパイも出来ているし、まことにいいと思うらしいですね。
 しかし、何分何十秒で、カチッと同じように焼き上る、焦げつきもしなければ、生ま焼けでもないと、いうふうにしようと思えば、これは結局、缶詰とかなんとか、ある程度出束上った食品を使うより仕方がないでしょう。
 料理ってものは、本当は煮えすぎたり、生ま煮えだったり、焦げついたり、ちょうどうまく成功したり、そういうところに面白味かあるものでしてね。それをなにもかも機械でガチャンガチャンと規格品みたいなものか、出来るんじゃ、食べさせられるほうだって、味気ないことですよ。
 バーベキューというのは、庭に火を起こして、アミで、勝手なものを焼いて、食べることでしょう。
 つまり、これが流行るというのは、あれは、亭主族の、白い台所と缶づめ食品とに対する反抗がと思うんです。毎日毎日、奥さんからあんな規格品の、味気ないものを食わされていたんでは、面白くないから、ストーブで羊の肉を焼いて食ってみたり、そういうことになったんだと思います。
 なべ一つにしたって、鉄のなべでやらねばならんものもあるし、土なべでやれば土なべのうまさがあるし、銅のなべでやらねばならんものもあるといったふうで、なにしろ大勢の人間が、何百年もかかって考えてきたものを、急になにもかも、ステンレスやアルミに定めてしまっては、そう面白く行くはずはないと思うんですがね。
 私たち画家は、ストーブを焚くことが上手なんですよ。昔、画室では、みんなストーブを焚いていましたからね。
 ところが、ストーブを焚くと、火が勿体ないでしょぅ。そこで、最後に絵具筆を洗うのに、お湯をふつうはかけているものです。それが部屋のなかにも、適当に蒸気が上って、具合がいいものですからね。
 ときによると、あのストーブに、よくスープなんかをかけておくんです。それが程よく、ゴトゴトゴトゴトと、煮えてくれましてね。
 一人者の絵描きだと、一日の仕事を終えて、日は暮れてくる、モデルはゆううつそうに帰って行く、薄暗くなったアトリエに、絵描きが一人ポツンと残っていると、ストーブでスープが、コトコトコトコト、鼻先きをふーっとうまい匂いがなでる、といった具合で、そこで、やおら皿を出してくる、パンを切ってスープの中に入れて、食いはじめるんです。
 スプーンを入れても倒れないぐらいに、たっぷり、パンを入れるんですがね。
 もう古いころですが、僕がそれをやっていたら、山本鼎さんが、なんかのことでやって来られて、入って来るなり、すっかり感激しちまって、あー、何年ぶりに、画室のスープを見ることだろう、といって、興奮していました。
 いまの時世に、そんなこといったって、出来はしませんが、やはりスープは、あの石炭のストーブで、焚くというのは、いいものですね。

 


サバのマリネよし小豆とべ-コンを煮たのもよし

 

 いまどき、ちらしずしを作るすし桶を持っている家が何軒あるでしょうか。僕の意見だと、これまた新説ですが、ちらしずしの好きな人には、悪人が居ませんよ。

 

 大阪に昔、山本源吉という人がいましてねえ、これは、無類いい人だったですよ。この人が、大阪で出会うと、

 

 「中村はん、今日あんた来やはるゆうてな、うちの家内が、朝からちらしずしこさえてまっせ」

 

とかならず、そういってくれたものです。

 

 いつか、菊池寛氏に、「あなた何が好きか」と聞いたら、「ちらしずしだ」っていいました。あの人も、悪党じゃなかったようです。僕もちらしずしが大好きです。

 

ちらしずしというのは、もとは飢饉の時かなにかに、頭のいい人がいて、少ない米を増やすために、菜っばかなにかを入れたのが、起りなんでしょう。

 

 その後、椎茸も入れたほうがよかろう、蓮根も入れたらうまかろう、というふうに、だんだん進歩していったのだろうと思います。

 

とにかく、これだけで、別に、おかずは作らないんでもいいし、色んなものの味が、うまくまじって、おまけに卵の焼いたのを、上からかけたり、うまいものだと思います。

 

 

 

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 しかし、いま、日本の若い人で、ちらしずしを作ろう、作れるという人は、どれ位いるものでしょうか。
 お煮〆にしても、ほんとうの焼豆腐の入って、こんにゃくも入って、ああいう伝統的な味を、しっかり知っている人は、だんだん失くなっていくんじゃありませんか。なにかこの頃は、食いものに手をかけるのを、非常にいやがるようですね。
 たとえば、ニシンの燻製とか、鮭の燻製などというものが、たくさんあるでしょう。
 あれを若い人連は、ただ薄く切って、そのまま皿にのっけて、酒の肴なんかに食ってますがね。あれはそんなことして食ったって、僕にはうまく思えません。これにちょっと手をかければ、いいんですがね。
 その燻製を薄く切って、器に入れる。その上に酢とサラダ油と塩、胡椒を入れて混ぜる。玉ねぎとかにんじんを細かく切って、それにローリエの葉でもちょっと入れて、合わせておく。
 これを、半日かそこら置いておけば、おなじ酒の肴にしても、オードブルにしても、じつにうまいものになるんです。つまり、フランスふうにいうと、「マリネ」にしておくんです、酢油漬けです。マリネといえば、フランスに、ラパン・マリネという料理があるんです。ウサギの酢油漬けです。
 フランス人は、ウサギが好きでしてね、ふつうは、たいがい血と一緒に赤ブドー酒で煮るんですが、これは家庭ですぐ出来るし、うまいですよ。シヴェ・ド・ラパンていうんです。
 日本人は、ウサギは臭いとか、なんとかいって、あまり食べませんが、動物というものは牛にしたって豚にしたって、なんにしたって特有のにおいがあるんです。それがうまいんでしょう。
 フランス人は、ウサギの目玉なんか、平気で食います。そういうと、気持悪がる人もいるでしょうが、われわれ日本人だって、魚の目玉は平気で食いますからね。
 その、ラパン・マリネですが、ウサギの皮をむいて、頭を切り離して、手、足を切って輪切りにし、ボールに入れ、パセリやオリーブを入れる、玉ねぎも刻みこむ、にんじんも刻みこむ。香い草も入れる。そして、油と酢と塩を、上からたっぷりかけてやる。
 そして、まあ、一昼夜は置くんですね。漬けた汁を、ときどき上へすくって、掛けてやるんです。そうすると、だんだん甘酢っぽいような、不思議なにおいがしてきます。なんとも言えん、うまそうなにおいですね。そしてこれを天火に入れて煮るのです。
 しかし、日本じゃ、そぅいちいちウサギでやれませんから、僕のうちじゃ、魚料理に、このマリネを利用します。
 時季になると、サバの大きなのがたくさん出廻るでしょう。あれを、今のラパン・マリネと同じような方法で、やるんです。おいしいですよ、日本だって昔から、サバは酢を用いますからね。
 魚といえば、茄でてマヨネーズを掛けて、食うでしょぅ。それを、玉ねぎ、ニンニク、にんじんそれから香い草、そういうものを入れて、塩で少し味をつけて、グラグラグと煮立たせる、これをクールブイヨンと申しますが、そのなかで魚を茹でてごらんなさい。それを引き上げて、マヨネーズかなんかで食えば、これがおんなじ魚かと思うほど、うまいもんです。
 いつかも、人がエビを送ってくれた。ところがちょぅど、その人が家に来たときにエビがついたもんだから、いまいったようにして、食卓に出したのです。
 ところが、後でその人の奥さんがやってきて、家の主人は、お宅でご馳走になって帰ってきて、あんなにうまいエビを食ったことはない、というんですが、どんなふうになさったんですかと聞くんでしょぅ。なんでもないことなんですがねえ。
 いったい、そう言っちゃなんですが、世の奥さんたちは、少し頭が堅すぎるんじゃないでしょうか。魚なら魚は、こうして食べるものと、決めてしまってるようですね。
 たとえば、いわしにしても、焼くか、煮るか、酢のものにするか、それだけのことらしいですが、同じ焼くにしても、ただ焼いただけでなくて、その上にバタをのっけて、レモンをしばりかけてごらんなさい。
 片手にパンをもって、いわしを少しずつむしって食えば、ふつうの大きさのが二尾もあったら、僕など、お腹いっぱいになりますよ。キリストにご馳走になった湖水の辺の人のように。
 豆なんかもそうでしょう。白いんげんにしても、うずら豆、あるいは小豆にしても、豆といえば砂糖で煮るもんだと、決めてるようですね。あるいは、煮豆ですか。
 とにかく、その白いんげんでも、うずら豆でもいい、これを一晩水み漬けておいて、あくる日、豚肉とか牛肉、好きな肉を少し妙めて、それと一緒に豆を煮てごらんなさい。フタをして、トロトロと煮込むのですよ。白いんげんなんか特にうまいですね。
 小豆なんかも、べーコンとでも煮ると、いいものですよ。見たところ、なんだかきたならしいように思う人もあるかもしれませんが、うちなんかで、たまに客にそぅいうものを出すと、食べてみたらずいぶんおいしいといって、みんな残さずに食べていきます。
 いったい食いものという町はね、これを作って食わせてやろうという気持が一方にあって、食うほうには、一つうまいものをご馳走になりましょうという気持があって、それではじめて、うまいものというものがなりたつんですよ。
 いまみたいに、作るほうも義理かやっかいなら、食うほうも、ただ腹がへったから食う、カロリーかビタミンが足りないから食う、というんでは、さみしいじゃありませんか。

 


ブドー酒の味は口の中で料理とまざって奏でる味

 

 僕がフランスから帰ってきたのは、一九二八年でした。考えてみりや、ずいぶん昔の話ですが。

 

 いまは、酒を一切やめていますが、昔はずいぶん飲んだもので、僕の飲まない酒は、電気ブランとカストリぐらいだろうと思うんです。

 

 その、一九二八年というのが、フラシスではブドー酒が大豊作の年で、あちらでもずいぶん飲んだものだから、日本へ帰るときに、フランスの酒のみ友達のひとりが「君、日本へ帰ったら、一九二八年のブドー酒を飲めは、二八年さえ飲んでおれば間違いがない。高いのなんか飲むな」こういってたんです。

 

 ところが、日本へ帰ってきて、いろんなアメリカやフランスの雑誌の広告とか、料理の記事をよむと、この一九二八年という酒がいまどきは、いちばん上等ということになっていますね。

 

 その時は、二八年の今年酒なんて飲めるか、などといったものですが。年がたつというのは、えらいことだと思います。

 

 このごろ日本でも、甲州あたりのブドー酒は、なかなかいけるという話ですが、どうでしょうかな。なにしろ、あれだけ片方で、まだ日本酒を飲むんだから、本当にブドー酒が好きな人は日本にまだ少ないと思います。

 

 そういうところでは、いくら作る方が一生けんめいになっても、本当の風味というものは、むつかしいんじゃないでしょうか。

 

 例えば、結婚式などに招ばれていくと、テーブルの上に、ブドー酒が出ます。ところが、あの一杯ずつのブドー酒を、みなさん、残してらっしゃるようですが、ブドー酒と料理とを口の中で交ぜ合せて本当にうまいなあと感じる人が、まだ少ないんだと思います。

 

 料理は料理、ブドー酒はブドー酒、というふうに、召し上ってる人の方が、多いんじゃありませんか。

 

 西洋料理では、魚には白ブドー酒、肉には赤ブドー酒というふうに出てきますが、そのトリ料理にしても、宴会用の干からびたニワトリでも、それを口に入れる、ブドー酒も一緒に入れる、ブドー酒とトリと、それからロの中から出てくる唾液と、かんでるうちに、これが一つになってきて、なんともいえん雰囲気が、舌のうえにかもしだされる。

 

 それを飲み込むというところに、たのしみがあるんですが、こんなふうにブドー酒を飲む人はまあ少なかろうと思いますね。

 

 それでは、まだまだ日本に、本当の芳醇ないいブドー酒は、出来ないのじゃないかと思います。

 


長生きするにはスープと焼肉とフランス人はいう

 

 フランスにいたころ、知り合いの老人が、よく「スープばかりで食事するひとは、百まで生きるという諺がある」といっていました。

 

 僕らは、どうしてもスープなど、夏は熱くてなじめないのですが、西洋人が、あのスープに対する愛着は、ちょっと、僕らの想像以上のものがあるようです。

 

フランスじゃ、ボンヌ・スープということをいうんですが。ちょっとこの言葉のニュアンスは、説明しにくいけど、たとえば、冬、寒いとき、家に帰ってくると、部屋があったまっていて、テーブルの上にマルミット(深なべ)が置いてあって、ふたをとると湯気が立ち上って、いい匂いがする、アーア、わが家に帰ったなという、なんか、幸せな感じがするでしょ。そういうスープを、ボンヌ・スープというんです。

 

 そうそう、ミレーの絵に、母親がスプーンのスープをフーッとふいて、赤ちゃんに飲ましてる絵があるでしょう。どこの家でもスープというものは、そのままカマドにつながる、火の傍につながる、そういったあったかい良さがあるんです。

 

スープばかり食ってれば百まで生きるという人達は、パンをちぎって、それをスープの中に入れて食べます。日本の茶の湯の茶碗の大きいようなのにスープをたっぷり入れて、それにパンをちぎりこむ。

 

 中はドブドブにして、サジがたつぐらいにして、それを食べる。

 

 昔ふうにいえば、一杯のスープの中には、いろんなものから出てきた滋養物が入ってるわけで、いまのカロリーやピタミンの説からいうと、どういうことになるか知りませんが、とにかく、そこへ牛乳を入れたり、バタを入れたり、どうかすると、ボンと卵を一つ割りこんだりして、それを食べるのです。

 

 もちろん、よいスープを作るというのは、少しやっかいですが、食いものというのは、多少不便なところが、じつは有難いんじゃないんですか。

 

家庭はレストランではありませんから、何んででも、もっと簡単に作ればよいではありませんか。

 

 うちなど、前日のカボチャとか、豆とか、じゃがいものココットの残りを、このごろ流行りのあの電気でくだくあれ、ミキサーですか、あれにかけて、結構おいしく食べます。ホーレン草、庭の池のクレッソン、すべてすがすがしいですが、ひと頃はよいスープになるんです。

 

 あのミキサー、非常に流行したが、とうとう台所の飾りになってしまったお宅が多いようですが、とろろ汁を作ったり、お汁粉を作ったりするのに利用すれば、なかなか役にたつものですよ。

 

 なんでもかんでもインスタント食品、あれではどうしても、しつとりした味ゎいというものは、出てこないだろうと思います。

 

 ところで、このミキサーですが戦争中、最後の浅間丸でアメリカから五コきたんです。あのときの値段でたしか五百円だったか、非常に高いものだったと記憶していますが、僕が一つと、築地の高田屋というところで一つ、それからキカイを作る津上が一つ、横浜の千疋屋と、あと一つは朝香宮さんが買ったんです。

 

 そのとき、ミキサーの名前はトマトマートって書いてあって、なんでも、そのころハリウッドの女優がジュースを飲むと、シワができないといって、みんなトマトの汁をこれで作って飲んだそうですが、日本でもみんなびっくりして、これがあったら命は百まで生きのびられると思っちゃったんです。

 

 朝香宮は、これは私するのはもったいない、戦病兵に使わせたい、といぅことで陸軍病院へお下げになり、これに似たものをこしらえて、みんなに生野菜のジュースをのませたらというお気持で、どこかの電機会社に作らせたら、とても不細工なのが出来上って、それが、戦後さかんに出まわったミキサーの起りになったようです。

 

 つい横道にそれましたね。

 

 やはり、フランスで聞かされたことですが、長生きしたければ、夕食にはそのボンヌ・ス-プとそれから、煮たものでなくて焼いた肉、それが本当の食べ方だ、というんです。

 

 こういうものを食っておれば、なま物や冷肉、ゼラチン入りのオードブルではじめる食事よりは、快よい満腹感はあるし、それでいて、寝る前に、お腹がおさまって、こなれているわけです

 

 フランス語で、よく、ディジェレという言葉を使うでしょう、挨拶などでも、よくききます。これはこなれたか、ということですね。せっかくものを食っても、お腹によく落ち着かなけりやあ、飯を食って、眠くなるようなだるいような気分になるということは、いいことじやありません。せっかく食事ちゅうや、食後に面白いお話がはずむのですから、それではぶちこわしになってしまいます。

 

 

 

 

 

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料理じゃなにをなんグラムなどときめられぬもの

 

 テレビ料理というのは、変なものですね。いつかも見ていたら、どこかの料理長が、ライスカレーの作り方を説明していました。
 ところが、テレビ料理には、必ず、傍にアナウンサーか何か、きき役の女の人が居ていろんなことを聞くでしょう。
 その時にも、その傍の女の人が、「あの、お塩の量は、何グラム位でしょうか」と聞いた。
 すると、その料理長が憤然として、そういう質問はもっとも因ると言うんです。相手が食いものだから、その時に使う材料によって、塩加減だって同じでほない。何グラムと決められるものではない、というんです。
 そんなことするよりは、小皿にでも取ってなめてみて、自分の看で、丁度いいところで止めればいいんだから、何グラムなどと聞く前に自分で味をみたほうがいい、とそう言って怒っているんです。僕は、それ以来、この料理長が好きになりましたね。
 いったい、どうして料理の先生というのは、すぐに、何は何グラムだというんでしょう。バタなど、本当にいいバタなら、なるべく多く入れた方がうまいにきまっているんです。
 バタのようなものの分量をいうのに、ふつうは、卵ぐらいの大きさとか、それよりすこし少ないとクルミぐらいの大きさ、そういう言い方がありますが、それで、いいんじゃありませんか。
 むっと少なければ、クルミの半分くらいと言えば、いいでしょう。
 それから、水とか酢とかブドー酒とか、そういったものの分量を言うんなら、ふつう水をのむコップがあります。コップ1杯とか、コップ半杯、それで十分役に立つはずです。
 それから、もうすこし少ない分量だったら、スプーン、サジ、あれでいいんじゃありませんか。
 大サジ1杯とか、茶サジ1杯、これで間に合います。
 もっと小さいんだと、塩とか胡椒ひとつまみ、つまり親指と人差し指でつまむ、これは、誰かがつまんだって大体は同じです。
 さっきの料理長もいってたように、食べものというのは、同じじゃがいもにしたって、肉にしたって、分量が一緒なら味も一緒というわけにはゆきません。
 だから、何を何グラムと、変にもっどもらしいことをいうよりは、およそのメドだけ知らせて、後は作る人が自分でなめてみて、自分の舌で、これではもう少し足したほうがいいとか、これで丁度いい、ということを判断するようにしなければいつまでたってもうまい食いものというのは、できっこないとおもいます。
 最近、ずいぶん料理学校が盛んになったり、料理の放送がいっぱい出たり、雑誌や本もたくさん出ているのに、奥さんたちの作る料淀が、だんだん変なことになってゆくのは、一つは、この何グラムという分量の教え方に罪があると僕は思っています。
 いまいった、コップ1杯ですが、ふつうのコップは、日本風にいうと一合たっぷり入る筈です。
 だから例えば炭酸だとか、コーラのようなものをコップに注ぐとき、みんなオズオズと入れて、こぼれはしないかと思っているようですが、思いきってジャーッと入れても、コップからこぼれるほど入ってはいないんです。
 わざわざ計量カップなどという、まるで化学の実験道具みたいなものを買って、台所に飾っておくよりは、そういったふだん使う道具で、分量のおよそのメドをつけておくということのはうが、ずっと賢いやり方で、本当はこんな事いわなければならないというのが、おかしい位なのです。
 第一、そういっちゃなんですが、食いものというものは、薬と違って、一グラム違ったから死ぬとかというもの、生きるとかという問題じゃないんですよ。
 あの人の料理はからいとか、甘いとかいってその作るものの性格が出る、それが楽しいのです。
 食べものはうまいものがうまいというのではつまらない、私にいわせれば、不味いものに不味いうまさがある。上等の口あけのたくあんはうまいけれども、酸っばくなったまずいたくあんも、またそれなりの味があります。
 人が食べられるものにまずいものがありましょうか、うまい料理屋ふうのものだけがうまいというのであれば、ゴミ箱をあさる乞食はうまいものは食べないということになるんですが、そんなことはない、のどを通る程のものなら何んでもうまいのです。

 


退屈したらジャムを作ること、じつにおもしろい

 

 

 

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 近ごろは、自分の家で梅干しを漬ける人は、だんだん少なくなってきたようですが、僕なんかはやっぱり毎年漬けないと、なんだか気持が落ち着かない。
 うちの奥さんなど、そんなに食べもしないのに毎年毎年漬けて、何年も前の梅干しの樽が、バラッと並んでいるのを、いったいどうするんだ、というんですが、しかし、たとえば夏など、たまにお腹をこわしたりすると、僕らやっぱりおかゆに梅干しですね。
 どうゆうわけか、あの梅干しとゆうヤツは、お腹を整えるのにあれが一番、おなかこわしの治りが早いようにおもいます。
 梅の実の出る頃に、八百屋のまえを通ると、ビニールの袋などにいれて、梅を売っている。やっぱり、梅干しをみんな漬けるのかなと思ったら、そうじゃないんで、この頃は、梅漬けよりも梅酒の材料に売れるんだそうです。
 梅酒も、まあおクスリですね。ばくのお祖母さんなど、八十八まで生きていましたが、夏はかならずあれを、おクスリと称して食後に少量のんでいました。
 しかし、今時の人は梅も漬けない、ラッキョウも漬けない。それじゃあジャムでも作るかといえば、それもあんまりやらないようじゃありませんか。何もかも出来合いの瓶づめで間にあわせてしまうんですね。
 僕なんか、年がら年じゅう日曜みたような仕事だけれども、そうでない人でも、何か退屈したら、ジャムでも作るにかぎりますね。あんな面白いものはない。
 子供の頃、ザラメの砂糖でカルメラってものを作ったけども、ちょうどあんなふうに、やってみると、面白いですよ。
 ジャムは、やっぱりアンズが一番のようです。食ってみると酸っばくて、それほどうまい果物だとは思いませんが、ジャムにすると、なんともいえぬ風味があります。
 ジャムの作り方は、いろんな本に書いてあるでしょうが、とにかく、はじめアンズを砂糖で煮て、ころあいになるとアンズを横にはねておく。それからあとの汁を煮つめると、砂糖とアンズの酸味とが、うまくかたまってくれます。
 これに少しオレンジを切り込むと、味がよくなりますね。
 それから、またアンズをなべにもどして、ちょっと煮て、それを瓶につめてしまっておくのです。
 瓶といえば、ジャムを入れておくのには、口がピッタリしまらなければいけない、というのでデパートなどに行くと、ガラスの広口の貯蔵瓶というのを売っていますが、なにも、わざわざあんなものを買わなくても、この頃はインスタントコーヒーなどの空瓶が、どこの家にもゴロゴロしてるんじゃありませんか。あれなど、じつにジャムをつめてしまっとくのにはいいですね。
 このインスタントコーヒーの空瓶は、大中小いろんなのがあるから、それをとっておいて、分量に応じてつめるんです。
 僕は、なんでもかんでもいらないものは、捨てろ捨てろとやかましくいう方で、そこで、奥さんがいろんなものを捨てる、見るとこういう瓶まで一緒に捨ててある、すると、僕がまた、これはいるんだ、あれはいるんだ、といって拾って家のなかへ持ってかえる、それじゃなんにもならないじゃありませんか、と笑われるんだけども、しかし、こういう瓶は重宝ですね。
 とにかくフタがキチッとしまるから、いろんなものに使えます。
 ジャムまでいかなくっても、たとえばリンゴが出さかりのころ、とても食べきれない時など、かるく砂糖で煮ておきます。リンゴのコンポートですが、これは朝ごほんにもいいし、昼や晩のご飯のデザートにもいいし、すこしバニラのエッセンスを加えたりして、これで、けっこううまいものになります。
 ジャムはアンズが一番だといいましたが、しかし考えてみると、ジャムにならない果物というのは、少ないんじゃありませんか。
 このごろ、出はじめているパイナップル、あのジャムも、なかなかいいものです。
 フランスに居た時、静物にあの生のパイナップルを描いたが、そのころ、ターニャという、帝政ロシアから亡命してきたモデルが来ていましたが、貧乏をしていましてね、お母さんたちといっしょに暮していたんです。
 そのターニャが、僕の描いたあとのパイナップルをみて、言いにくそうに、それ食べないんならもらえないだろうか、というんです。ジャムにするというんです。
 ところが、あくる日、ターニャがやってくると、昨日あれからジャムを作ったから、半分だけ差し上げます、といって、なんか瓶に入れて持ってきてくれました。
 食ってみたら、こんなにうまいものがあるのかとおもいましたね。よく熟れたいいパイナップルなら、勿論そのまま食べたほうがおいしいのですが、大きさもそれはどでないし、味も中途半端なのが、このごろは多いでしょう。
 ああいうのは、切って食ったって、うまいもんじゃないんです。そういうのは、もうジャムにするのにかぎります。
 ただ、パイナップルは甘いが、アンズのようなすっぱ味がそれほどありません。だから、オレンジかアンズをまぜたらいいとおもいます。
 僕は、そんなめんどうなことをしないで、アンズのジャムと、パイナップルのジャムを両方食卓にだして、パンの上でまぜますが、なに、それもめんどくさけりや、口のなかでまぜたっていいじゃありませんか。

 


ホームバーなど流行させるのは酒のみを作るもと

 

 街頭で、こんなに酔っばらいが多いのほ、日本だけだと、よくいわれるでしょう。これほ、やっぱり、食事の習慣と関係があって、日本のは、どうも酔っばらいを作るように出来ているんですよ。

 

 日本の料理屋というのほ、名前は料理屋でも、じっさいはどうも酒屋ですね。料理とめしを食わしたところで、あまりたくさんお金がとれないもんだから、キレイな女の人を置いて酒をうんと飲ませて、酒代でかせごうという魂胆じゃありませんか。

 

 それには、お腹が大きくなってからでは、飲めないから、最初にこのわたとかちょっとした突き出し、それに刺身ぐらいをだして、どんどん酒を運ぶ。

 

 すきっ腹に酒を飲むんだから、すぐ酔がまわってくる。もうこれ以上飲めないというところで、ご飯ということになる。すると、おれはおこうこでお茶漬けがいい、などということになって、肝心のご馳走のほうは、ほとんど手をつけない、といったことになりやすいのです。

 

 この料理屋のしきたりが、街頭の酔っぱらいをつくっているんだと思います。

 

 おなじ宴会でも、中国風だと、あれは食べながら飲むんだから、いくら飲んだってタカがしれています。それに、ちゃんとしたものを食べているから、胃も痛めない、酔っぱらいもすくないし、二日酔もすくないでしょう。

 

 西洋料理もおなじことで、ブドー酒や、いろんな酒が出てくるから、ずいぶん酔っぱらいそうだけれども、あれも、スープでお腹をととのえて、それからあと、魚になってから白ブドー酒を飲む、肉になって赤ブドー酒を飲む、最後にシャンパンを飲むときは飲む、コニャックを飲む、とそんな順序でいくから、つまり、食べながら飲むから、酔っぱらいも出ないし、わる酔いもしないようにできているわけでしょう。

 

 サマー・タイムというのが、日本でも戦後一時やりましたが、あれは前のヨーロッパ大戦のとき、英国からはじまったようですね。ヨーロッパでは、ずいぶん長いあいだ続けています。

 

 英国ではこのサマー・タイムをはじめた一つの理由は、みんなに酒を飲ませないようにしようということだったといえますね。

 

 サマー・タイムだと、じっさいの時間より、一時間ずつ早いから、かりに五時に仕事が終るとすれば、じっさいは四時なんです。日がカンカン照っています。

 

 ところが、一般の人は仕事が終って家に帰るまえに、アペリティフといって、食前の酒を、ちょっと居酒屋あたりによってひっかけるという習慣がある。

 

 パリだったら、クレソンネとかアメールとか、強い酒を飲むんですよ。だから、家へ帰ったときは相当ゴキゲンになっている。そして家で食事をするとき、またブドー酒なりなんなりを飲むんだから、アルコール中毒というものが、一つの社会病としてひろがってくるんです。

 

 ところが、サマー・タイムというものをやっていると、いくら仕事が終ったからシいって、カンカン夏の日の照ってるときに、バーにいくとか酒屋によるというのは、たいていの人間は気がひける。そこでまっすぐ家に帰る。すると自然に、家庭菜園をしたり、子供をつれて公園にゆくという段取りになります。

 

 日本じゃ、すぐなんのかんのといってみんながサマー・タイムを反対して、止めちゃったけれど、それどころか、この頃は逆にホーム・バーというのが、流行しはじめて、テレビなんかもカンタンにとり上げているようだけれど、あれは、奥さんたちが一寸ハイカラな気がしたり、亭主がそとで酒を飲まなくなるとでもおもうのでしょうか。

 

 ホーム・バーは、家庭のなかで、怪しげな洋酒のピンを並べて、カクテルなぞを作って飲むということだけれども、本当のお酒の知識がなくて、あれをやることは賛成出来ない。

 

 それでなくても、酒というのはよいものではありませんし、第一子供たちを、かんたんにお酒に近づけることになり、これは危険千万だとおもいます。子供なんか手近なところにあれば、ちょっとなんだかいたずらででも飲んでみたくなったりする、そう考えると、これは大変わるい流行だと、私は恐しくなります。

 


日本のホテル料理にダミアは怒り大学教授は欺く

 


 どうも日本の西洋料理も、材料がきまってしまって、ヘンにお座なりなところがあるようですねもっとも、これは宴会料理の話ですが。

 

 いつか特急の食堂車にいきましたらね、フランス人の立派なお爺さんがまえに坐っている。それが、フランス語を話すかと聞くから、すこしは話すというと、ちょうど夏の初めで、窓から見ると、畑にビニールをかぶせたものが、ずっと植わってるんです。

 

 あれはなんだ、と聞くから、ナスだといいましたら、そのお爺さんが、わたしはストラスブール大学の教授で、日本に交換教授で来ているんだというんです。

 

 わたしは、あのナスくらい好物ほない。あれのファルシ(挽き肉などつめて焼いたもの)が大好物なのだ、どこのホテルへいっても、ナスはないかと聞くんだが、そういうものはないという。

 

 ところが、いまこうして見れば、あんなに作っておるではないか、日本人もナスは食べるんだろうというんですね。

 

 だから、そりやあ、われわれも食ってるんだ。現に僕も好きだ、挽き肉をのっけて焼いたのを食う、あなたの国じゃやるじゃないか、というとそれなだよ、それがもう世界で一番うまいもんだよといって、しかも、それをとうとう日本じゃ一回も食わさない、といって怒ってテーブルをたたくんですよ。

 

 そういえは、フランスのシャンソン歌手で、ダミアという人がすこし前に来ましたね。あのダミアと話をしていたら、食べものの話になって、すると憤然として、彼女が怒りだすのです。

 

 日本にきてもう四十日にもなるが、サラダというものをいくら注文してもくれない、というんです。すぐマヨネーズかなんかで混ぜくった野菜を持ってくる。「酢と油と塩」と注文しても、料理場で混ぜて調合したものをかけて持ってくる。

 

 彼女はひらきなおって、「わがフランスでは」というのです、「サラダというものは、新鮮な野菜に酢と油と塩を混ぜたものをかけるもので、その調合は、めいめいが自分の好きな味でやるもんだ。だから、サラダといえば、ボールのなかに野菜を入れて、べつに油と酢と塩を持ってきさえすればいいのに、それを、どこでどう頼んでもやってくれない」

 

 「おかげで、日本に来てまだ一回もほんとうのサラダにありつかない」といって怒っているんです。一つは、言葉がよく通じない、接待した日本側が、うまく通訳してやれなかった為もあるらしいんですが。

 

 それから、話がさやいんげんになって、アリコヴェールですが、あれを日本人は食わんのだろうかと聞くから、いや大いに食うんだというと、それを帝国ホテルで、四十日間いて一回も出してくれない、といってまた怒るんです。

 

たまに出すと、肉の横に小さく刻んだやつを、チョコチョコっと置いとくけれども、あれをいくらたっぷり食いたいとおもっても、食べられないというんですね。どうもこの点、日本の西洋料理も、ちょっとなにか、感違いをしているようにおもいます。

 

 私の住んでるここ小金井など、野菜が豊富で、私は幸に思っています。新じゃがからほじまって、庭のクレッソン、サラダ菜もレーチュからフリゼまではあるし、さやえん豆からアリコヴュール、お隣りの農家の鴨下さんはいつもトマトやナスや、きうりをふんだんにくれるので私は大へん幸福なのです。

 

 昨日もお隣りからもらったカボチャがとてもうまいので、今晩はもしおひまなら、ゆっくりしてください。戦災で焼けのこった鉄鍋で、豚肉でも入れて、カボチャのココットでも作って食べましょう。

 

 私のところの手伝さんは、すぐ料理が上手になります。今いるカッちゃんも来て約一年ですが、たいていのことはもうのみこめました。来年のいま頃は、きっともう自分でムニュを作って、食べさせてくれるようになる、と楽しみにして居ります。女中さんを料理上手にする法は、いずれまた、おしゃべりする機会がありましょう。

 

                                    (筆者は洋画家・日本芸術院会員)

 

 

 

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暮しの手帖 (第1期)76〔1964年秋〕号 pp.210-228

 

 

 

 

 

 

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