飯田線の旅 1974

■急に…

 今年の5月の伊那地方の旧家への探訪のツアーの話が持ち上がりました。

 伊那といえば、当方の脳内世界では、ローメン と 飯田線。

 というわけで、今から40年前、友人の静岡県掛川の実家から、東京まで「素直に帰ったんじゃ面白くない」ので、飯田線・中央(東)線周りで戻ったときのことを思い出しました。

 今でもそうですが、鉄道を含めて、写真を撮るのに「狙い撮り」するのはあまり好きでなくて、出会ったものを「パシャ撮り」するのが好きなのですが、このときばかりは、何分長丁場。しかも、この友人というのが、実家の縁側でエサにするサシ(要するにハエの幼虫。はっきりいえば「ウジ虫」)を培養しているほどの釣り好きで、天竜川流域の5万分の1地形図が全て揃っている。

■そんなお誂え向きの…

環境ですし、学生(まして院生だったので、もっとヒマ)なので時間は「たっぷりある」ので、時刻表からダイヤを起こし、

Dia01_2


地形図で撮影ポイントを探す作業を2日ほどして(そこまでやったのは、最初で最後)、8月のある日、家の用事で豊川まで行くという友人の車に乗せてもらい、飯田線の新城という駅で「落として」もらいました。

  今なら、コンビニで地形図の必要な部分をカラーで拡大コピーすれば簡単な話しなのですが、当時はそんな便利な場所はなく(市街地の大きな文具屋さんに行ったところで、当然カラーコピーなんてあるはずなく、そもそも拡大コピーもあったかどうか…)、地図の「手描き拡大コピー」と、同じく「手描きのダイヤグラム」を持っての旅の始まりでした。

■「大誤算」が…

「冒頭のっけ」の新城の駅で起こりました。

 地形図上の「偵察」では、どうも「見せ場」は中部天竜駅以北にある、と踏んで、新城から一気に急行でワープするつもりだったのですが、何分車ですので、はるかに早く着いてしまっていました。

 駅前でウロウロしても仕方なく、まして、当時の飯田線は、旧型国電と旧型電気機関車の宝庫。

 とにかく、駅構内にいれば、上りの面白い列車が来るかもしれないので、下りホームで、カメラをセットして待っていると…

 当の下り線に「物凄い」のが向こうから現れました。

■「モハ52」じゃん…

これ。

R74005_01_2

 戦前、阪急電車や阪神電車への対抗馬として、京阪神の快速列車用に国鉄が投入したエース。

 こうなると、事前の「緻密な計画」はさておいて、とにかく乗るしかありません。

 段取りの修正は、電車の中ですることにして、乗り込んだ車両が幸い元2等車用。

 要するに、今のグリーン車用の車なのですが、当然、もう普通車。とはいえ、配置は変えてあるものの、シート自体は2等車時代そのまんま。

R74005_06

 さすがに「へたって」はいますが、フワフワのシートに座って、鎌倉じゃなかった芦屋文士の気分で、時刻表のチェック。

 この電車、本長篠止まりで、そこで1時間ほど待てば、最初の予定の急行が来ることがわかったらしく(はっきり覚えてはいませんが、そう判断したらしいことは間違いなさそう)、そのまま、終点へ。

 本長篠では、サマーキャンプに来たらしい少年たちがおりてゆきます。

R74005_07

 こちらは、駅周辺をウロついて、ベストアングルの1枚。

R74004_24f

じりじりとした夏の日差しの中、待つこと小一時間で、当初予定の急行到着。

R74004_28

■これで…

「予定の行動」に復帰です。

 と、いっても、この先のスケジュールは結構タイト。

 というのは、終点の辰野から、当日中に東京に戻れるように、この

Tiket
どこかで駅前旅館に泊まれば当時でも1000数百円。こっちなら、急行券300円+指定券300円で600円

指定券を押さえてあったからです。

 で、計画では、撮影ポイントは、南から、温田、市田そして山吹。

■温田(ぬくた)

 ここ

Nukuta

今なら、絶対に、川の真ん中の中洲?の鳥居マークはチェックしたはずですが…
民俗学に目覚めたのは、同じ友人(学部のゼミ、大学院の研究科でも同級)などと、
この数年後、豊橋北西の寒狭川の解禁直後に釣りに行ったときに見た「田峰の田楽」
を見て以降のことだったのです。
今から思えば惜しいことですが、これも、やはり「事実の理論負荷性」


では、天竜川の崖を飯田線が走っていて、そこを対岸から撮る計画でした。

駅に着く直前、車窓からチェックすると、ほぼイメージ通りの位置関係でしたので、途中下車して、予定ポイントに移動。

で、こう

R74005_15
最近になってネットで調べてみると、どうやら「定番ポイント」みたいですね、ここ。

なりました。

ここ、温田から、さらに北上

R74005_18

■市田(いちだ)

 ここの計画は、こう

Ichida

だったのですが、ここでの写真が見当たりません。

どうも、車窓チェックで「絵にならない」と思って、次の山吹で時間を取ることにしたように思います。

■山吹(やまぶき)

 ここは、予想外に綺麗な村で、いわば大正解した。

 ポイント図は

Yamabuki

 要するに、裏山に登って俯瞰で撮ろうという算段でした。

R74005_30
同じ場所で、緑+オレンジの急行色の165系も撮ったのですが、絵になりません。
やはり、飯田線にはスカ色が似合うようです。

■あとは…

R74005_35
ED19@沢渡(さわんど)

 徐々に西に傾く日差しの中、辰野に向かいました。

■辰野では…

今はなき、駅弁「杣人弁当」を買って夕食

Somabito740809

 左手前のアルミフォイルの中が、鯉の甘露煮(輪切りにしたのの半分)、右奥が五平餅。

 地味ですが、単純明快で、伊那谷の旅の締めくくりにはぴったりで、めったに持ち帰ることのない掛紙も、これのだけは残っていますので、

Somabito

当時、よほど気に入ったのでしょう。きっと。

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