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2020/11/17

1964年東京オリンピックの「記念物」

■たまたま…

とある場所の写真を探して、デジカメ写真のライブラリを探していたら、2011年4月16日に撮影した、いわば「1964TOKYO」の記念物の写真が出てきた。

10年近く前に撮影したので、さすがにもう残っていないのではないかと思うが、確か「都06」系統のバスの「広尾病院前」(新橋方面)のバス停で、あまりの懐かしさのために窓から撮った「ゴミ箱」の写真である。

Dsc03925_s

この「ゴミ箱」、下側の、黒い金属製の支柱と、その上のかなり破損はしているが曲線を使った逆円錐台状のフレームがオリジナル。フレーム上のプラ桶は形も色もオリジナルではなくて、当初は、確か、フレームにきちんとはまり込む、「いわゆるポリバケツ色」だったか、くすんだ黄緑色だったかのポリエチレンのバケツがセットされていた。

1964年の先の東京オリンピックを前に、街中ゴミだらけの東京を、世界に恥ずかしくない街にしよう、というわけで、その2年ほど前だったからか、それこそ東京中にこの「チューリップライン」と名づけられたゴミ箱が立てられたのである。

■たしかに…

この「チューリップライン」の効果かどうかは別にして、あのオリンピックを境に、東京の街が一気にきれいになったことは確かで、その後1980年ころに香港や、1990年ころにブータンの首都ティンプーに行ったとき、ゴミだらけの道路を見て、かえって妙な懐かしさを感じたほどである(逆にいえば、こちらは1960年ころまでの東京の街を知っているわけなので、とてもとても、これらの街を嗤うことなどできなかった道理だし、かえって「これこそ都市なんだよね」という感慨しかなかった)。

■なお…

「ゴミ箱」の写真だけでは、あまりに「愛想無し」なので、我が家にのこる、もう1組の「1964TOKYO」の記念物の、10月24日の閉会式*の入場券とそのカバーの画像も載せておくことにする。

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1964s

*閉会式の入場券といっても、その前の「オリンピック最終日の華」。あの、バロン・ニシとウラヌス號の、ロスアンゼルス・オリンピックでの活躍で有名な大賞典障害飛越馬術競技も観戦することができた(カバー裏「4」)。
 もっとも、正面スタンドかバックスタンドならばともかく、人馬一体の迫力を感じるにやや遠すぎたが。

【追記】

コメント欄に、マグノリアさまからご教示いただいた、プラ桶の萌黄色は、このような色

https://www.color-sample.com/colors/149/

 容器の素材のポリエチレンに直接着色していたはずなので、全くこれと同一の色を、最終製品に造り出すのは難しかたっと思いますが、それまでの「ポリ容器」と違った「上品な色」だったように記憶しています。
 そうでなければ、我々悪ガキ中学生の間でも「なんだあの下品な色は。みっともない」と悪評紛々だったはずですので。

 

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コメント

>ガーデニング用のポットというのは、スリット鉢の深緑などですか?

大まかにいえば、ちょっとくすんだ黄緑色で、我が家にあるのは、野菜作り用のやや深型のプランタです。

投稿: きむらたかし | 2021/08/05 02:06

>安定的な発色にするためには選択肢が限られ、やむを得なかったようにも思いますが(とはいえ、ガーデニング用のポットなどでは未だ実用されています)…

そんな事情もあるのですね。専門的なお話、興味深いです。
ガーデニング用のポットというのは、スリット鉢の深緑などですか?

きむら様のお写真と私の記憶を頼りにカラーペーパーでくだんのゴミ箱を作ってみました。
妹に見せたら「あった、あった!こんな色の」と言っておりましたので、わりと忠実に再現できたと思います。
画像をお見せできないのが残念です。

投稿: マグノリア | 2021/08/04 23:58

たしかに、花森さんなら、そういいそうですね。

ゴミ容器の方は、いわば実用化されてホヤホヤの素材ですので、安定的な発色にするためには選択肢が限られ、やむを得なかったようにも思いますが(とはいえ、ガーデニング用のポットなどでは未だ実用されています)…

ただ、フレームの色が黒というのは「チューリップライン」とう名前とはやや乖離しているように、当時も感じました。

なにか訳があったのでしょうか。横尾忠則も参加していた、本体の方の各種デザインについては、それなりに情報もあるのですが、こちらは、その種の苦労話は目にしたことがないので。

投稿: きむらたかし | 2021/08/04 01:24

わざわざ追記をありがとうございます。

この萌黄色をもう少し暗くしたようなカラーだったかもしれません。
たしか『暮しの手帖』で花森安治がこのデザインをケチョンケチョンに言っていたような覚えがあります。
その記事を探しているのですが…
子供の眼にはとてもモダンに映りました。

投稿: マグノリア | 2021/08/03 22:36

マグノリア様

あの「チューリップライン」のポリバケツが、萌黄色とのご指摘ありがとうございます、やはり覚えておられる方がおられて心強いです。。
これ、ニッポン放送主導のプロジェクトではなかったかと思うのですが、どこかにサラピンのカラー写真が残っているはずなので、見てみたいですね。
 1964年のときは、ほぼ同年代の中2。やはり、ぼぉ、としていて各学校配付のチケットにも、学校の窓から見えた、できたばかりの新幹線より、はるかに興味がなかったのも同様です。
 しかし、当時は、敗戦で焼土になってからわずか20年弱。 
 大人たちには「東京を、戦前のような世界に恥ずかしくないまちにしよう」という、意地のようなモチベ―ションが今から見てもありました。
 今回の「おもてなし」では、インパクトがなさすぎですよね。

投稿: きむらたかし | 2021/07/25 22:03

はじめまして。

1964年の東京オリンピック当時の路上ゴミ箱の画像を探してこのページに辿り着きました。

当時私は渋谷区猿楽町に住む小学校低学年で、渋谷の街並みがどんどんと整備されていくのを目の当たりにしていました。
といっても子供(しかも相当ボヤッとしていた)のことですから、五輪が始まるまではよくわかっていませんでしたが。

印象に残っているのが、通りに設置されたガラス張りの電話ボックスと、この黒い鋼鉄の波型模様に嵌め込まれたくすんだ萌黄色のバケツ型のゴミ箱です。

画像を残してくださってありがとうございます。
記憶は間違っていなかったなと確認できました。

再度の東京オリンピックが始まりました。
こんな時に開催するなんて、と気持ちが乗らずにおりましたが、試合が始まるとテレビ画面の選手の活躍に手に汗握っております。

投稿: マグノリア | 2021/07/25 20:51

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