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2020/10/10

「お狗さま」のお札

■去る10月6日…

かねてからの長い懸案だった、渋谷・宮益坂下の御嶽*神社に参拝して「お狗(犬)さま」ことオオカミのお札

*木曽のは「おんたけ」と呼び、沖縄では「うたき」と称するが、武蔵のは「みたけ」と訓む。

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印刷ではなく、使い込んだ版木による手刷りなのが、いかにも「霊験灼か」に感じられて嬉しい。
「大口眞神」は「オオグチマカミ」あるいは「オオクチノマガミ」と訓む。

をいただいてきた。

【参考】

Photo_20201113090901
文政3〔1820〕年の宮益御嶽神社(赤矢印)
村尾嘉陵「江戸近郊道しるべ」巻
15
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2577956/4


■かつて…

小学生のとき、通学路の途中に、玄関先にカラスの柄の団扇を掲げているお家と、オオカミのお札を貼っているお家とがあり、カラスの方は府中の大國魂神社のものと比較的早くわかったものの、オオカミの方は気にはなりながらも、なかなか素性がわからないでいた。

■やがて…

数多ある神社の中に、オオカミの絵柄のお札を配付しているところがかなりあることがわかり(今回改めてしらべると、あらかた青梅の武蔵御嶽神社系統と、秩父の三峯神社系統に収斂してしまうようではあるが。)、さらに、数年前にネット・オークションで「オオカミの護符」と題するDVD

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監督:由井英
制作:小倉美恵子、小泉修吉
撮影:伊藤碩男、由井英 音声:河合樹香 助監督:中嶋美紀
音楽:姜小青(中国古筝)、千島幸明(篠笛) ナレーター:糸博 語り:小倉美恵子
題字:永田紗懸 版画:小林奈那 編集/録音スタジオ:アクェリアム
上映スタッフ:大江純恵、吉江志づか
デザイン:熊潭正人+内村佳奈(パワーハウス)、岩井友子
製作/販売:ささらプロダクション
共同製作:(株)環境テレビトラスト、『オオカミの護符』製作委員会
支援:文化庁
後援:川崎市・川崎市教育委員会
協賛:テレサ川崎農業協同組合、土橋町内会、(有)有劦設計
   (株)サメジマコーポレーション、(有)大倉商事
協力:宮前区観光協会、たまフォーラム
   土橋郵便局、東京急行電鉄株式会社

文化庁映画賞文化記録映画優秀賞受賞作の由

を入手して見てみたところ、青梅の御嶽神社と秩父の三峯神社を中心として、関東北東部から甲州にかけてそのような神社が分布していることがわかった。

■加えて…

これらの神社というよりカミを崇敬する人たちで構成された講社が各地にあって、このDVDも、今の川崎市宮前区土橋〔つちはし〕にある、青梅の(武蔵)御嶽神社の崇敬者による講社を主軸に据えて、丹念な取材で構成したもの。

川崎にあるのだから、多摩川の向かいで青梅や秩父により近い豊島や荏原、たとえば、土橋と同じように、かつては畑作中心の農村地帯だった我が家のある旧荏原郡下北澤村や代田村にも同様の講社があって、門口に「お狗さま」のお札を貼る家があっても、何の不思議もないわけなのである〔末尾【補注】参照〕

■実は…

今回の御嶽神社の参拝には、もう一つ目的があって、それは、同社の「狛イヌ」ならぬ「狛オオカミ」くんに会いたかったためである。

写真でみる他社のものと比べて、はるかにプロポーションがよくて顔も端正で、美しさでは群をぬいている。

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阿形(オスらしい)

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吽形(こちらはメスだろう)

しかし、長年の念願がかなったのはよいが、 阿吽どちらも、やや「可愛い過ぎる」ともいえる(かといってイヌには見えない)

■調べてみると…

江戸時代に作られたという先代の石像が、年月の経過に加えて先の戦災

_
日本地図株式会社「コンサイス東京都35區 區分地圖帖 戰災焼失區域表示」〔⑰澁谷區〕同社/S21・刊・抜粋

による損傷が大きくなったので、戦後にその後継として現在のブロンズ製「お狗さま」が作られたとのこと。

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戦前の御嶽神社(安部鷹助 『渋谷区神社仏閣名所画報』豊玉社出版部/S16【到来モノ】より)
奥が拝殿。下から2段目の擁壁手前の台上に「お犬さま」が見える


【参考】御嶽神社旧拝殿

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現在の拝殿

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先代の方は、修復が施され、社務所内に保存されているとのことなので、何とか見てみたいと思って探してみたら、ここ

http://www.raifuku.net/special/wolfpics2/wolfpics2.html#

http://www9.plala.or.jp/sinsi/07sinsi/fukuda/ohkami/ohkami-77-05.html

に写真があった。

現在の像と同様にプロポーションがよく、「ワイルド」な顔や足先が頼もしい。

■ネット上には…

「お狗さま」のお札についても「狛オオカミ」ついても、熱心に研究している方々のブログやWEBページ

たとえば
日本の狼信仰:資料蒐集と参拝記&狼を神使・眷属とする主要な神社仏閣まとめ(随時更新)
https://togetter.com/li/1214511

など、見切れないほどあり、ググれば足りるので、いちいちリンク先を挙げつらう必要もないことから、ユニークなものだけを挙げておこうと思う。

加えて、書籍も様々な観点にわたっているし数も多いが、とくに制作者によるDVDの続編にあたる「民俗学的」なこの本は推奨できる
  小倉美恵子「オオカミの護符」新潮社/2011・刊(新潮文庫版もある)

1 石黒直隆「絶滅した日本のオオカミの遺伝的系統」
  日本獣医師会雑誌 Vol.26(11),pp.765-770,2009-11
  https://ci.nii.ac.jp/naid/40016807061

  実物の二ホンオオカミあるいはヤマイヌの骨のDNA鑑定結果

2 東吉野村とニホンオオカミ
  http://www.vill.higashiyoshino.nara.jp/tourism/japaneseookami

  明治38年に、わが国で最後に捕獲されたといわれる、現在ロンドン自然史
  博物館に、頭骨と毛皮が保存されている二ホンオオカミの情報
  ページの末尾近くにある、そのブロンズ像の迫力には、写真でみても気押さ
  れる。

      【参照】https://biggame.iza-yoi.net/japan/Jamainu/Jamainu.html

3 嵐山町WEB博物誌:第1節 春を待つ:「COLUMN お犬さま」
  http://www.ranhaku.com/web07/c2/1_03.html

  末尾に、隣のときがわ町(旧・埼玉県比企都幾川村)式部平〔しきびだいら〕
  にあった二ホンオオカミの頭骨の写真
  http://www.ranhaku.com/web07/c2/1_03wolf_skull.html
  がある。

  *都幾川村文化財調査委員会「都幾川村の史跡と文化財」
                       同村教育委員会/S63・刊

   「三 式部平 二ホン狼の頭骨 村指定文化財」pp.30‐31 に
   「多武峯〔とうのみね 〕の北側に地元で「しきびたいら」と呼ぶ、旧野口勘一郎氏
    宅の入口(とほうぐち)、柱の裏側に昔から家内安全の魔除けとして狼の頭骨が
    つるされていた。」
   とある。
         〔註:野口家は、すでに同地から移転〕

4 「山上茂樹翁ききがきノート 第五十一話 菅生のお犬さま」
 「多摩のあゆみ」(たましん地域文化財団)Vol.38,pp.60-61,S60-02
  https://trc-adeac.trc.co.jp/Html/ImageView/1392015100/1392015100100010/tamanoayumi038/?p=62

   東京都あきる野市(旧・秋川市)菅生地区の正勝神社の境内社である
   大口真神社を中心とする同地の御嶽講と、周辺地区を含むオオカミの逸話。
   平素は害獣除けのオオカミではあるが、かつて土葬だったころ、このとき
   ばかりは、掘り返されては困るので「オオカミ除け」をしたという話は興
   味深い。

5 青梅の武蔵御嶽神社における餅撒きの動画。

   いわば本社の青梅の御嶽神社の行事です。
   同社に神楽(「太々神楽 」)を奉納する講社(「太々講」と名乗ることもあり、
   現在も10講ほどあるらしい
)が、神楽奉納の折に行う「餅撒き」の映像(同様に、
        銭を撒くタイプもある)。
   同社に参拝したからといって、まずめったに見ることのできない貴重な映像。
   https://www.youtube.com/watch?v=9eHmCY0fwd4

   https://www.youtube.com/watch?v=54rDWmcML68

 7 「御嶽講と御師」 1992年に東京都世田谷区教育委員会が制作した、同区大蔵の2つの御嶽代参講の記録

   砧大蔵の御嶽講「山谷講中」が、代参者を決める「お日まち」行事。片柳御師による檀家廻り。
   大蔵の講元の安藤家、同講中全体の護符を納める大蔵石井戸御嶽社の映像もある。
   https://www.youtube.com/watch?v=8XpryJtN11E 

8 西海賢二「武州御嶽山信仰と石造物」(「多摩のあゆみ」Vol42 「特集 多摩の修験信仰」多摩中央信用金庫 /S61 所収)

   著者は武蔵御嶽信仰の研究では第一人者。表題に「…石造物」とはあるが、前段の、御嶽信仰の沿革と現状、
   とりわけそのキーパースンである御師〔おし〕の起源や活動がついてわかりやすくまとめられているのは貴重。

   https://trc-adeac.trc.co.jp/Html/ImageView/1392015100/1392015100100010/tamanoayumi042/?p=63

9 【特別寄稿】  狼信仰の著者、写真家・青柳健二氏。
    狼信仰は、形を変えた自然崇拝とも言える。人と自然との関係をもう一度考えるきっかけに、という思いで取材を続けている。
  https://manabi-japan.jp/special-interview/20190921_15501/ 

  このページと、下部にあるリンク先ページを合わせれば、狼信仰についての、ほぼ1冊の教科書。
  ここで、表示されているリンク先は第7回までだが。
  https://manabi-japan.jp/?s=%E7%8B%BC%E4%BF%A1%E4%BB%B0
  で検索すると、第11回まであることがわかる。

10 寺田喜朗「オオカミ信仰の東西」

  https://www.youtube.com/watch?v=UVihGsYWG_g


■最後のリンク先は…

大正大学で宗教学の教鞭をとる寺田教授のオンライン講義の一環で、西欧と我が国のオオカミ信仰の発祥・内容・変遷を30分程度の講義の中で端的かつ明快にまとめている。

その分布からみて、ある程度は想像のついていたことではあったが、やはり、オオカミは、

当初、焼畑農業圏で、イノシシやシカから作物を守ってくれるカミとして、江戸の初期から中期に信仰の対象になった模様。

江戸後期には、コレラ除けのカミとしても崇敬を集めたらしいが、江戸を中心とする講員などの参詣者が神社に参集したり、各地元での儀式の後の直会などで共食することで「感染リスク」を高めたと思われる青梅・秩父の関係者ならばともかく、およそコレラ菌が辿り着けそうもない静岡の大井川沿いの奥地の井川とか小河内に「お犬さま」信仰が残っていることは、焼畑との関係を措定しなければ説明がつかないだろう。

■我が家に来た…

「お狗さま」には、玄関先に納まっていただいた。

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額縁代わりの笊は、骨董店で購入後30年以上経ったつい先日、茶葉の選別用
のものであることが判明した。
なお、中央部は京都の従兄から貰った「祇園さん」の粽。

期待している「ご利益」は、

・ネズミ除け
  ネズミ君の侵入口と思われる外壁のあらゆる隙間を塞いだはずなのだが、
  どうも彼らには人智の及ばぬルートがあるらしく、時折天井裏を走りまわる。
  イノシシ、シカも襲う「お狗さま」なのだから、ネズミごときは前片足の
  「一払い」で撃退してくれるだろう。
  そもそも、ノネズミは常食しているだろうし。

・コロナ除け
  幕末期「お狗さま」の護符は、コレラ除けとして絶大な人気があったという。
  かつてのコレラ同様の現代の疫病なのだから、当然期待したい。
  アマビエは「お狗さま」より新興でマイナーだし、「俗っぽ」すぎる。
  第一「お狗さま」とは迫力がまるで違う。

 

【補注】世田谷区(と周辺)の御嶽講

不覚にも、これまでノーチェックだった、当地の地域資料を調べてみた。

1 佐藤敏雄「下北沢通史」同/S61・刊
では、

「阿川昌朝氏談 追補 昭和六〇年五月聴取」(pp.125-129)中に
講では三峰講、御嶽講、富士講、庚申講があった。」(p.127)

とし、

2 世田谷区民俗調査団「下北沢 世田谷区民俗調査第8次報告」世田谷区教育委員会/S63・刊
では、

信仰的講組織としては、妙義講、榛名講、三峯講、大山講、富士講、箱根道了尊の講、念仏講、庚申講、念仏講〔ママ〕などがあった。」(p.22)

代参講として、大山講、富士講のほか「三峰講、妙義講、御岳講があった」(p.88)

とされている

3 世田谷区生活文化部文化課「ふるさと世田谷を語る 代田・北沢・代沢・大原・羽根木」同/H09・刊
では、

・旧下北澤村に該る「北沢・代沢」の章に

北沢2丁目の田中次郎氏談として
〇講の話
 講と称するものもいくつかありましたが、印象に残っているものは毎年代参といって、毎年地域の代表が一名ないし二名登山に行っていた富士講(山梨県富士山)、御嶽講(奥多摩御嶽神社)、榛名講(群馬県榛名神社)等です。これらの講は地域の各家から「講金」と称する会費を出し合いまして、これを代表が使用して参詣に行ったようです。これは農作物の豊作を祈願する傍ら、農家の人々の「慰安」でもあったようです。」(p.197。p.92も同旨 )

とあり、

【補記】21/01/12

下北沢村を中心とし、代田、雑色(中野)やおそらく幡ヶ谷などの講員で構成されていた富士講中である山富講の、かつての活動については、堀切森之助編「幡ヶ谷郷土誌(復刻版)」幡ヶ谷を語る会/H05・刊の p.163 が詳しい。

 

・隣村である旧代田村(本村と飛地下代田)に該る「代田・代沢」の章にも

「講・その他」の項に
三峰講は、現在も講中が三十二名いて、円乗院脇に三峰神社を祀り、毎年五月ごろには代参者〔註「四名」p.174〕を送って信仰を続けているということです。*
 御嶽講(武州御嶽)は、中原地区で行われていましたが、現在は代田八幡神社境内に末社として祀り、講中は解散しています。」(p.63)

とあった。

*この代参は今も続いていて、年1回円乗院で報告会が行われている由。

【参照】

旧代田村については、ある程度調査が進展している

https://daidarabotch.blogspot.com/2020/11/blog-post.html

この種の講中は、通常各村の字(小名)ごとに構成されているようなので、御嶽講は世田谷中原を中心に構成された可能性が高いし、それに対し三峯講の方は代田本村を中心に構成されたのかもしれないのだが、代田村の下北澤村を挟んだ飛地の下代田(現・略・世田谷区代沢1丁目)にも三峯社の小祠があった。
DaidaraNotesAndQueries: 代田村、下北沢村などでの御嶽、三峯への代参講
 末尾

【追記】21/01/12

 

上記三峯講は、代田本村を中心とする講中で、下代田は講中に加わっていない。

この種の講は原則として小字ごとに結成さているとのことで、下代田に三峯社があったことは、同地に本村のそれとは別に三峯講があった可能性がるようである。

なお、代田では、成田講も存続している由。

なお、代田村小名中原の御嶽講は、青梅御嶽山麓の御師集団である「山下御師」中の北島家の檀家だったと思われるが、北島家といっても数家あって、そのうちどの北島家なのかは、まだ全く不明である。

【追記】

下北沢・代田近隣では、

羽根木1-24

に武州御嶽神社があることがわかった。小祠ながら独立社(他社の摂社・末社でないという意味で)であるが、「お犬さま」はいない

https://www.youtube.com/watch?v=cb3vZ5qivSA

上記「ふるさと…」の羽根木の章を見たが、

かつて御嶽講があったとされるが(pp.163,232)それ以上の情報はない。

また、M42測 1/10000 地形図「世田谷」では、該当地に神社記号がなく、もともとは地域神あるいは屋敷神の祠だった可能性が高そうである。

代田の西隣の旧松原村の場合

・世田谷区民俗調査団「松原 世田谷区民俗調査第12次報告」世田谷区教育委員会/H08・刊

「信仰」の章「4.講」に、代参講として

講は旅行的要素を持っており、よい娯楽であった。代参の順序は丁目ごとに輪番で廻ってくる。4月は榛名講、5月は三峯講、御岳講(青梅)、幸運講などがあった。三峯講は現在も行われている。他にも善光寺講などがあって5月に代参に出かけた。
 御岳講は昭和初年まで行われており、参加者は白装束を来〔ママ〕て中央線で行った。御岳では一の池から三の池までの水が腹痛に効くとされ、一升瓶で持ち帰り普段は神棚に置いておいた。

とあった。

・世田谷区砧大蔵

   の御嶽講「山野講中」が、代参者を決める「お日まち」行事の記録

   片柳御師による檀家廻り。大蔵の講元の安藤家、同講中全体の護符を納める大蔵石井戸御嶽社の映像もある。
   https://www.youtube.com/watch?v=8XpryJtN11E 

なお、

・下馬4-27-26の駒繋神社

 には、の末社に、三峯神社、榛名神社と同居して御嶽神社があるようだ。

・渋谷区の旧幡ヶ谷村

の村域では、笹塚2-19、幡ヶ谷2-14にそれぞれ御嶽神社があるが*、こちらも、小祠・独立社・お犬さま不在。
これらも、M42測T10修測2 1/10000 地形図「中野」に記載がなく、また、
堀切森之助・編「幡ヶ谷郷土誌」
幡ヶ谷を語る会/S53・刊 のpp.73-75によれば、いずれも地域神のようである。

  *西海賢二「武州御嶽山信仰史の研究」名著出版/s58・刊 の、pp.267・257 によると
       文政10年御嶽社に奉納された大天狗小天狗立像の台座に、以下のように刻まれているという。
  「文政十丁亥四月吉日 鋳物師東都粉川
             江戸四ツ谷新町講
    武州豊島郡江戸四ツ谷新町
          山形家中
          彦根家中
          幡ヶ谷下町
          同笹塚
           :」

加えて

澁谷の武蔵御嶽

前掲・西海pp.277‐278によれば、

明治23年度に、御岳のある御師が市中などの檀家に護符を配った記録である「檀家配札帳」によれば、

同24年2月13・14日に、府内の渋谷で配札した

とされている。
上中下澁谷のどの地域かは不明だが、渋谷にも御嶽講があったことがわかる
(なお、このとき、御師は渋谷金王神社に宿を借りている)

【参照】

下北沢・代田に限らず、とくに農村地帯には様々な講社が存在していた。
ただ、これらの大半は、先の大戦を期に消滅しているので、それぞれの講が、何のために、どのような活動をしていたのかについては、今となっては非常にわかりにくい。

下記の資料は(「多摩の…」とあるが、世田谷を含め、江戸時代の江戸市街を示す「朱引線」の外の農村地帯に共通しているといえる)すでに消滅してしまったものも含めて各講社を概観するには、柳田の次世代の民俗学者として著名な宮田登が筑波大学の助教授時代に執筆の「『講』の本質」などもあって必読の一冊と言ってよい。

「多摩のあゆみ 第12号 特集 多摩の『講』」(たましん地域文化財団/S52-08)

https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11E0/WJJS06U/1392015100/1392015100100010/ht000120

 

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