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2020/10/31

【ちょっと域外】ご近所の「お狗さま」探訪

■どうやら…

我が家の近隣には、御嶽神社はあっても、「お狗(犬)さま」はいないようなので、少し範囲を広げてみたら…

「お狗さま」についてはこちら
http://baumdorf.cocolog-nifty.com/gardengarden/2020/10/post-411332.html

順次追記予定の google map 「お狗さま」はこちら
https://www.google.com/maps/d/edit?mid=1A_eUXRPpmdG-27kyuwi8Nba8xYtGkCcp&usp=sharing


■高井戸御嶽神社 2020/10/31

我が家の最寄り駅から電車1本でゆける、京王井の頭線高井戸駅近くの、天台宗吉祥院門前の御嶽神社に、「お狗さま」がいることがわかった。

■環八沿いの…

高井戸駅から南に向かい、神田川を渡る「つくだばし」を越して、10分ほどで、環八西沿いに

「高井戸不動尊」とのゲート「天台宗吉祥院」の立標のある、

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参道入口についた。

■細い…

参道

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を西に進むと…

■右手に…

天台宗吉祥院の山門が見える

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■当然ながら…

参拝したし、なかなかのお寺なのだが、今回のテーマとは外れるので委細は省略することにして、正面やや左の鳥居のところにある

御嶽社

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とくに、画面左右の「お狗さま」に集中する。

■まず

写真正面右手の「阿形」の「お狗さま」

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別角度からは…

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■次いで「吽形」

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同様に別角度

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■宮益御嶽社の

「かわいい」お狗さまと違って、阿吽どちらも顔は迫力があって頼もしいのだが…

脚やせめて足先が、もっと力強ければ、と思う。

■それはともかく…

ここ、天台宗吉祥院の方は、参道にある縁起書

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によれば、

明治16年に谷中から当地に移転してきた

とのことなので、ほぼ間違いなく、お寺よりも、御嶽社の方が当地での由緒が旧い

といってよいだろう。

■同じく…

縁起書きによれば、吉祥院は、成田山新省講の祈願寺として、多くの信者が参集したそうなので、その陰に隠れて、当地の御岳信仰が忘れ去られては、と懸念した御嶽講の人たちが、明治32年になって、この

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「眷属〔この場合は「お狗さま」を指す〕供養塔」を建立したのではないか、というのは考えすぎだろうか。

 

■方南大山神社 2020/11/03

方南町の、釜寺こと東運寺

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本堂の棟の上に「釜」が載っている

のブロックの西端、環七から1本東にある大山神社に「お狗さま」がいることがわかった。

大山神社といえば、丹沢の大山阿夫利神社を信仰する大山講の人たちが建立したと考えられるのだが「さて大山にお犬さま信仰があったっけ?」と調べてみたが、どう考えても大山に「お狗さま信仰」はなさそうだった。

しかし、現地

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に行ってみると、こんな

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石碑があって、もともと当地にあった、大山社、御嶽社、榛名社を合祀した*

・社名は大山社のそれを承継し
・「お狗さま」については他の社に狛犬がいなかったので、御嶽社の「お狗さま」を承継した

のだろう(他社に狛犬があったのなら、いくら合祀といっても、さすがにそれらを「打ち捨てる」とは思えない)

*残念ながら、この碑の裏面にあった建立年が石の剥落によって読み取れない
 (残っている文字の一部から推測すると大正3年9月1日」〔赤文字が欠損部〕と読めなくもないが)
 たとえば、合祀されたのが
 明治初期の神仏分離の時期なのか、
 神社合祀令が施行中の時期なのか、
 関東大震災後の住宅地化で、農村を基盤にしていたこの種の講社(講中)が衰退した時期なのか
 などによっても、この大山神社の起源についての解釈は違ってくるだろう。

■祠の中の

護符をみると、御嶽のそれの存在感が大きく、とくに中央部に祀られているのは

平成20年に御嶽神社から戴いてきたらしい、同社の木札である。

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他に大山社の護符も複数あるが、榛名社のそれは見当たらない。

御嶽社の護符の年代からみて、今も御嶽講が当地にも存続しているとも思えないのだが、榛名社、大山社、御嶽社の順に、当地の信仰が衰退してきたことは確かだろう。

■最後に

肝心の「お狗さま」の写真

阿吽それぞれ何カットか撮っているが、どう見ても「これで決まり」というカットのみをご披露する。

定石にしたがって、まず、阿形

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次いで、吽形

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■体側には

肋骨が浮き出ているのに対し、脚、とくに前脚の力強さが印象的である。

 

■笹塚御嶽神社 前同日

方南の「お狗さま」

の帰路、環七沿いのバス停から、新代田駅前行きの東急バスに乗って、終点から井の頭線で帰るつもりだったのだが、渋谷行きの京王バスの方が先に来たため、代々木八幡経由の小田急線で帰ろうと乗り込んだのだが、バスが環七から甲州街道に左折して、笹塚を通ることがわかったので、笹塚駅前で降りて、笹塚の御嶽神社に参拝することにした。

■ここには

「お狗さま」がいないことはわかっていたのだが、これまで調べた限りでは、我が家からもっとも近い御嶽社なので、せっかくの機会なので立ち寄ることにしたわけである。

地図は持ってきていなかったが、甲州街道の北側で、笹塚駅前から西方向にある路地の西側にあることは記憶にあったので、何筋かを順番に手繰ったら期待通りに見つかった。

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■この種の

社としては、境内地も結構広いし、きれいに掃き清められていて、当地の方々が大切に祀っていることが窺われる。

 

■永福御嶽神社 2020/11/14

■京王井の頭線…

永福町駅から南に数分。

昭和の香りの残る商店街の中にあった。

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杉並区永福1丁目39番17号

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■ここは…

数100メートル南の、永福稲荷神社

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杉並区永福1丁目24番6号

の境外末社として、江戸時代中期に当地の御嶽講の講中が建立したもののようだが、写真でわかるように、今回、本社の方にまで足を延したのは、ネット上の情報で、ここの境内に「不可解な動物」の像が祀られているらしいことを知ったからである。

■境内を…

探し回った結果、北側の参道入口の鳥居の手前の擁壁の上に

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一対の、像を見つけた。

■こまかい…

分析とか類例探しは後日のことにして、まずは、論評抜きで

吽形|阿形 のペアで、何パターンかを載せておくことにする。

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■とにかく…

オオカミ(お狗さま)のようでもあり、キツネ(お稲荷さん)のようでもある、という不思議な像である。

 

■羽根木御嶽神社 前同日

京王井の頭線で…

帰宅するルートの途中なので、代田2丁目駅で途中下車して、その北方の同社に立ち寄ってみた。

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東京都世田谷区羽根木1丁目24番1号

標柱に、「武州」と冠して社名を刻んでいる。

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■こちらは…

旧・原・世田谷村飛地羽根木の、閑静な住宅街の中にある。

 

■杉並区桃井の御嶽神社 2020/11/21

■ネット上では…

採り上げている方

https://ameblo.jp/benben7887/entry-12375413239.html
はあまりいないようだが、写真でみると、ここは武藏御嶽神社スタイルの正統派のお狗さまが守護しているようなので、JR西荻駅から15分ほど歩いて、青梅街道から少し北に入った、ここに行ってみた。

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■ネット上の…

画像でみると、正面に2階に上がるための鋼鉄製の階段の脇にあるという、不思議な佇まいに感じていた。

行って見てわかったのは、ここは

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「宿町集会所」という、町内会館だった。

個人のお宅ではないので、安心して、所在地を、杉並区桃井4丁目1番9号と、住居表示で示すことができる。

■つまり…

この社は、旧町名の宿町を冠した町内会の会館の西南隅に鎮座している。

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道路際には鉄のフェンスが設けられているが、中央にある引き戸には施錠がなく(というより、その設備/装置もない)誰でも参拝できるようなので、境内に入って参拝したが…

賽銭箱がない!

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ここの場所柄からは、いわゆる地域神と思われるのだが、それなら賽銭を供えられても、祠やお狗さまの維持の資金として町内会が管理すれば問題ないはず。

あるいは、特殊な縁起があるのかもしれないので、いずれは、杉並区の郷土資料館などででも調べてみたいところである。

とはいえ、そのまま立ち去るのも気がひけるので、5円玉だけ、祠の框にお供えしてきた。

■で、肝心の…

お狗さまだが、アングルを少し変えて2カット撮ったので、吽形‐阿形を並べて掲載しておく。

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■一応これで…

宮益御嶽神社から始まって、我が家の近隣といえる地域にある「お狗さま」がいる御嶽神社については「管見の及ぶ限り」ではあるが、全て参拝したことになる。

残るは「お狗さま」不在の御嶽神社(たとえば、代田八幡の境内社。ここは今月25日に参拝予定)と、三峯系の神社で、できれば年内に参拝したいところではある。

■代田御嶽社 2020/11/25

今日、小田急線の世田谷代田駅前で、ちょっとした打ち合わせがあったので、すぐ近くの代田八幡神社の境内社である御嶽社に立ち寄ることにした。

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本殿の右(東)奥の、一段高い場所にある。

みてのとおり、「お狗さま」はいない。

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■代田三峯神社 前同日

代田の御嶽社を参拝した後、淡島通りのバスで渋谷にでることにしたので、いわばバス停までの通り道といってよい、代永山圓乗院

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右端が、昭和20年5月の山の手空襲で被災したコウヤマキ


の境内東脇

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の三峯神社にも立ち寄ってみることにした。

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の扉が少し開いていたので、覗いてみると

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比較的新しい代参札(代参者が、講中のために秩父三峯神社から受けてくる護符)と思しきものが納めれていて

 代田三峯
  講社御中

と読める。

代田の三峯講中が、いまでも活動を続けていることが如実にわかる。

■砧三峯神社 2020/12/11

■小田急祖師谷大蔵駅に…

ほど近いところに、三峯神社があって、お狗さまがいるそうなので、「三密」の避けれれそうな平日の今日、休みをとって行ってみた。

 近い割には道がややこしいところだったが、「とにかく駅から南東に行って、荒玉水道道路に出ればなんとかなるだろう」と行ってみたら、うまく、神社の1本北の道に出た。

■南の…

参道側に回り込むと

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どうやら、お狗さまは、右手の社務所前と、正面の拝殿前に2対いる模様。

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■まずは…

参拝の後に、拝殿前の「お狗さま」

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今回は、阿形から

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吽形

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■次いで…

社務所前の「お狗さま」を同順で

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以上「マイ・ベスト・アングル」のみ

【備忘録】

下落合にもあったニホンオオカミの社。:落合学(落合道人 Ochiai-Dojin):SSブログ (ss-blog.jp)

 

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2020/10/30

プチSRシステム2 一応「完成」……はしたけれど。

■MIX-41C…

というコンパクトなラインレベルのミクサを偶然入手したことによって、一気に進展した「プチSR計画」。

http://baumdorf.cocolog-nifty.com/gardengarden/2019/11/post-334dca.html

http://baumdorf.cocolog-nifty.com/gardengarden/2019/11/post-b6d617.html

■残った…

課題は、

  1. モノララルマイクのモノラル・ジャック×2をAT-MA2のステレオ・プラグに変換するケーブル
  2. AT-MA2の出力のRCAピンジャック×2 と MIX‐410C のやパソコンォーン・プラグ×2を接続するケーブル
  3. 手持ちのデジタルレコーダ、TASCAM DR100MkII やパソコンの音声出力用ミニステレオプラグとMIX‐410C のフォーンプラグ×2を接続するケーブル
  4. MIX‐410C のフォーンプラグと アクティブスピーカー Audio Technica のミニステレオプラグを接続するケーブル
  5. AT-MA2 と MIX‐41C にDC9Vを供給する、乾電池ボックス
  6. 乾電池ボックスから2分岐は3分岐で電源を供給するケーブル

いうことになった。

■これを…

アマゾンなどで、全部一気に調達すれば簡単なのかもしれないが、この種のケーブルやコネクタあるいはプラグ用のアダプタ類については、もろもろの経緯から、結構、手持ちがある。

若いうちなら、これらは「この先使うための、貴重なストック品」なのだが、齢(よわい)を重ねた今となっては、この先徐々に「この先使い途がなくなるジャンク品」になってゆくのは必定。

と、いうわけで、コストや手間を差し置いて、できるだけストック品を活かしで、整備することに決めた。
まぁ、用途が用途なので、さほど音質などにこだわる意味もないわけだし、
・金メッキ端子じゃなきやイヤ
とか
・無酸素銅線しか使いたくない
とかいったスペックにこだわる意味も必要もない用途のためである。

■結局…

  1. 自作も考えたものの、探してみると、モノラルのジャックもステレオのプラグも手持ちがないので、当然、既成品 を調達
  2. RCAピンプラグ付きのステレオ・ケーブルは、「売るほど」手持ちがあるので、その中で、接触不良が怖いのであまりプラグが粗末なものは避ける一方、オーバースペックにしても無意味なので、さして高品位とまでは言えないものをを選んで、反対側に、6φのモノラル標準フォーン・プラグ×2をハンダ付けして自作した。
  3. これも2と同様に、6φのモノラル標準フォーン・プラグの手持ちがないので、手持ちの、片側に3.5φのステレオ・フォーンプラグが付いたケーブルを使おうかとも思ったのだが、か細いカーブルなので標準フォーン・プラグへの引き込み部分の耐久性に不安がある。
     もともと使用頻度が低いこのSRシステムの中で、さらに使用頻度が低いケーブルアダプタなので、放置していたところ、下北沢のハードオフのジャンク・ケーブルのコーナーで、ドンピシャのケーブルを見つけてしまった。
     たしか500円だったかで、あとで調べると新品価格と比べてさして安いわかではなかったのだが、さりとて、ネットで調べてこの製品が見つけ出せたとも思えないし、見た目がゴツイにもかかわらず、ケーブルが結構柔軟なこともあって、これはこれで大成功かもしれない。
  4. 手持ちの 3.5φのモノラル・フォーン・プラグの未使用品を見つけ出したので、3に使おうかと思っていた、ケーブル付きの3.5φのステレオ・フォーンプラグにハンダ付けでモノラル接続して一件落着。
     思いだしたが、このケーブル、故障して廃棄したPC用スピーカーから外しておいたものだった。
  5. 電圧9Vなので、単3電池6本。秋月で買った乾電池フォルダなら手持ちがあるし、給電用のケーブルもかき集めると揃いそうに思えたのだが、ケースがない。
     探してみると、安価なケース付きのものがあったので迷うことなく購入した。
  6. 5の電池ボックスから、最低2つの機器にDC9Vを供給する必要があるので、まずは

   ・3分岐ケーブル を入手

    そのプラグのうち、1系統はMIX‐410Cに、プラグの先端の+-を逆転させるため

   ・極性変換アダプタ を入手

   もう1系統の、AT-MA2 へは、極性には問題ないものの
   先端ピンを2.5φから極性統一プラグの規格である1.8φに変換する必要がある
   のだが、
なぜか、ストック品の中から

   ・アダプタ・ケーブルを発掘できた。

■一応これで…

当初計画どおりの、プチSRシステムは組みあがったことにはなるのだが、すでに「環境」がまるで変ってしまっていた。

問題はとくに、スピーカー・システムで、AT-SPB50 程度の出力では、到底「『密』集」を回避できる環境下では「実用」にならない。

■実は…

スピーカーの出力アップについては

・スピーカー

については、オースミ電機のAV-635B/W)を2台入手済み
と、いうより、自作のオーディオパワーアンプのテスト用に、下北沢のハードオフで¥300で購入しておいたところ,その1年後くらいに近所のフリマで全くの同型機を¥200でもう1台入手できてしまったもの。

・パワーアンプ

AMAZONで、送料無料にするため、スピーカーの最大入力に合わせてに50Wのデジタル・パワーアンプ基盤× 2は購入済みで、あと必要なのは、ステレオ3.5φの入力ターミナル、100K(A)の入力ヴォリューム×2、それにケース程度なのだが…
(電源アダプタは必須になるが、古いThinkpad 用が流用できる)

■とはいえ

 組み上げたてみたところで、果たして、いつになったら使う機会が来るのやら。

 

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2020/10/18

ノース・フェイスの「レイン・パーカー」と、バブアの「レイン・キャップ」

■読売新聞の…

2020年10月12日の夕刊2面に、紙面のほぼ2/3を使って、懐かしい
「シェラデザインズ」の60/40素材のマウンテン・パーカー
が採り上げられていた。

今でも確か40年前の、この製品が製造を続けられていて、しかも、当初の製品である「タン・カラー」(おおまかにいって、やや濃いめの黄色かかった薄茶色)のものが復活した由。

■「懐かしい」といっても…

あの当時のポパイ(平凡出版。現・マガジンハウス)「別冊メンズカタログ」とか、メンズクラブ(【追記】婦人画報社だった)別冊で眺めていただけで、当時の最新素材を使っているだけに、若造には価格的に手が出ないった。

もっとも、マウンテン・パーカーというアウトドア用のジャケットは、当時、この世に初めて現れたわけでなく、丁度、ルアー・フィッシングに凝り始めたころで、いわゆる街着しか持っていなかったのだから、たしかに不可欠なタイプの衣類だった。

この、シェラデザインズのそれの特長は、細かい仕様の違いを除けば「素材」の新しさにあったのである(もっとも、本当にほどなく、通気性と撥水性を両立させた、今では「当たり前の素材」となったゴアテックスが開発された)。

■とはいえ…

パーカーと呼ばれるものは、当時では、いわば薄い方から厚いほうへ順に
1 レイン・パーカー
  要するに「雨着」
2 マウンテン・パーカー
  普通の「上着」
3 ダウン・パーカー
  当然「防寒具」

さらには、
4 ダウン・ジャケット
  ダウン・パーカーがあれば不要だが、後の説明のため挙げておく

といいったヴァリエーションがあった。

■しかし…

これを全部揃えるのはとても資金的に無理。第一、釣りに一度に全部持ってゆくわけでもない。

そんな中で、たまたま、御徒町のアウトドア用品屋さんだったと思うが、バーゲン品の、ノースフェイスの「1」を見つけた。

当時は、太っていたのだが、ビジネス・スーツの上から着ても、袖丈が少し余るものの、価格は確か定価の6割くらいと魅力的。

■そこで考えたのだが…

学生時代、写真に凝っていて(大学の写真部のノリがきらいだったので、ちょっとハズレたクラブにいた)、女性誌のananは創刊号から取って読んで(というより写真を見て)いたのだが、時折「リセンヌ」、つまりフランスの女子高生のファッションが紹介されていたことを思い出した。

彼女らは、限られた手持ちの服を、状況に応じてうまく取り合わせて着こなしている。という話で、そのいわば応用で
「このレインパーカーに、薄いダウンジャケットを取り合わせればマウンテン・パーカーは不要だろう」
と考えた。

■当時…

やはりノース・フェイスから「ダウン・ライトシャツ」*

*多分、年代的に考えると、これ
 http://monoblog.555nat.com/?eid=1163174
 のちょっと後のタイプで、表裏の生地が同じ紺系の色の、もう少し「薄手」で「張り」のある素材だったように記憶している。

*【追記】
まさに、これ
 http://monoblog.555nat.com/?eid=1163303
だった。

 「なつかしいったら、ありゃしない」。感謝、感謝。

というのが発売されていて、それと取り合わせることを思いついた。

そのダウン・ライトシャツがエライのは、上記写真のように、腰までカバーする丈のうえ、袖口が普通のダウンジャケットと違って、文字通り「シャツ」の袖口の形で、これを金属製のホックで止めるタイプだったので、全体に薄手のこともあって、街中で来てもあまり大げさに見えないというところに、メリットを感じていた。

■これが…

そのレインパーカー。

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当初は、ナイロン地の裏にポリエステルでコーティングされていて、買ったときはもう少し「シャン」としていたのだが、コーティングが風化して無くなってしまったので、今は、防水スプレーで防水性を確保している。

■一方…

ライト・シャツの方は、あるとき、知人の家で火鉢の上に落ちてしまって、広範囲に焼けてしまって、あえなく引退。

以来、ほぼ40年経つが、袖口があのタイプのものを見つけ出すことができなかった。

■「相棒」を失った…

レイン・パーカーは、出番がほとんど無くなってしまい、小雨の中の庭いじりとか、ご近所への買い物程度に「出動」するだけになってしまっている。

仕方なく、マウンテン・パーカーは調達しているが、ああ、あのライト・シャツがあれば…

■余談ながら…

写真のように、パーカーのフードはどこかに行ってしまっている。

まぁ、釣り(今は「ときどきフライ」)なので、暴風雨や吹雪の中を移動することはまずない(といっても、かつて、毎年3月1日の芦ノ湖の解禁日はいつも昼頃から「大荒れ」だったが)ので、当初からフードはまず使ったことがないし、なぜなら、先だってバブアのレインハットを調達していたため。

このハット、同じくバブアのコートと共に、当時のカタログ・ブックの常連だったし、ゴア・テックスの出てくる前だったので、他に選択肢もなかった。

■しかし…

原産国のイギリスと日本との気候の差は、いかんともしがたい。

雨のときの防水性には、当然問題はないのだが、困ったのはその後。

おそらく、低湿度のイギリスなら、雨が止んだ後しばらく被っていれば、元に戻るのだろうが(そうでなければ、ハイソサエティーの方々や、ミドルクラス-日本のエセ中産階級と違って、あえて働かなくても衣食住には不足のない人たちをいう-の人たちが愛用する道理がない)、高湿度の日本では、いつまでたっても水が蒸発せず生地がヌルヌルのままで、(身分に関係なく)実用にならない(仕方なく、スキー用のキャップを持ち出したりしていた)。

■と、いうわけで…

一回徹底的に乾燥させた後、ビニール袋に入れてクローゼット(押し入れだったか?)に放り込んであったのだが、あるとき取り出してみると、油分やワックス分が適当に蒸発してくれたらしい。

そこで、カビ落としを兼ねて、何度か徹底的に洗濯した後、防水スプレーをかけてみたところ、レインハットとして、まさに生き返ってくれた。

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キャップ型と違ってハット型なので、ブリム(ツバ)が全周にあるうえ、前後で幅が違うので、状況(雨の強さ、方向や作業の内容)によって、前後を入れ替えて使うと、非常に便利

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たためば、どのポケットにも放り込めるし

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確かに「名作」といってよい。

■しかし…

結局

・機能
  は上記のように抜群 なのに
・素材
  が高湿度の日本に適合していなかった

だけだったと思うほかない。

最初から、そこに思い至っていれば、今頃は、使い倒してめでたく退役だったかもしれないのに、気の毒なことをしてしまったことになる。

 

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2020/10/10

「お狗さま」のお札

■去る10月6日…

かねてからの長い懸案だった、渋谷・宮益坂下の御嶽*神社に参拝して「お狗(犬)さま」ことオオカミのお札

*木曽のは「おんたけ」と呼び、沖縄では「うたき」と称するが、武蔵のは「みたけ」と訓む。

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印刷ではなく、使い込んだ版木による手刷りなのが、いかにも「霊験灼か」に感じられて嬉しい。
「大口眞神」は「オオグチマカミ」あるいは「オオクチノマガミ」と訓む。

をいただいてきた。

【参考】

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文政3〔1820〕年の宮益御嶽神社(赤矢印)
村尾嘉陵「江戸近郊道しるべ」巻
15
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2577956/4


■かつて…

小学生のとき、通学路の途中に、玄関先にカラスの柄の団扇を掲げているお家と、オオカミのお札を貼っているお家とがあり、カラスの方は府中の大國魂神社のものと比較的早くわかったものの、オオカミの方は気にはなりながらも、なかなか素性がわからないでいた。

■やがて…

数多ある神社の中に、オオカミの絵柄のお札を配付しているところがかなりあることがわかり(今回改めてしらべると、あらかた青梅の武蔵御嶽神社系統と、秩父の三峯神社系統に収斂してしまうようではあるが。)、さらに、数年前にネット・オークションで「オオカミの護符」と題するDVD

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監督:由井英
制作:小倉美恵子、小泉修吉
撮影:伊藤碩男、由井英 音声:河合樹香 助監督:中嶋美紀
音楽:姜小青(中国古筝)、千島幸明(篠笛) ナレーター:糸博 語り:小倉美恵子
題字:永田紗懸 版画:小林奈那 編集/録音スタジオ:アクェリアム
上映スタッフ:大江純恵、吉江志づか
デザイン:熊潭正人+内村佳奈(パワーハウス)、岩井友子
製作/販売:ささらプロダクション
共同製作:(株)環境テレビトラスト、『オオカミの護符』製作委員会
支援:文化庁
後援:川崎市・川崎市教育委員会
協賛:テレサ川崎農業協同組合、土橋町内会、(有)有劦設計
   (株)サメジマコーポレーション、(有)大倉商事
協力:宮前区観光協会、たまフォーラム
   土橋郵便局、東京急行電鉄株式会社

文化庁映画賞文化記録映画優秀賞受賞作の由

を入手して見てみたところ、青梅の御嶽神社と秩父の三峯神社を中心として、関東北東部から甲州にかけてそのような神社が分布していることがわかった。

■加えて…

これらの神社というよりカミを崇敬する人たちで構成された講社が各地にあって、このDVDも、今の川崎市宮前区土橋〔つちはし〕にある、青梅の(武蔵)御嶽神社の崇敬者による講社を主軸に据えて、丹念な取材で構成したもの。

川崎にあるのだから、多摩川の向かいで青梅や秩父により近い豊島や荏原、たとえば、土橋と同じように、かつては畑作中心の農村地帯だった我が家のある旧荏原郡下北澤村や代田村にも同様の講社があって、門口に「お狗さま」のお札を貼る家があっても、何の不思議もないわけなのである〔末尾【補注】参照〕

■実は…

今回の御嶽神社の参拝には、もう一つ目的があって、それは、同社の「狛イヌ」ならぬ「狛オオカミ」くんに会いたかったためである。

写真でみる他社のものと比べて、はるかにプロポーションがよくて顔も端正で、美しさでは群をぬいている。

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阿形(オスらしい)

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吽形(こちらはメスだろう)

しかし、長年の念願がかなったのはよいが、 阿吽どちらも、やや「可愛い過ぎる」ともいえる(かといってイヌには見えない)

■調べてみると…

江戸時代に作られたという先代の石像が、年月の経過に加えて先の戦災

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日本地図株式会社「コンサイス東京都35區 區分地圖帖 戰災焼失區域表示」〔⑰澁谷區〕同社/S21・刊・抜粋

による損傷が大きくなったので、戦後にその後継として現在のブロンズ製「お狗さま」が作られたとのこと。

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戦前の御嶽神社(安部鷹助 『渋谷区神社仏閣名所画報』豊玉社出版部/S16【到来モノ】より)
奥が拝殿。下から2段目の擁壁手前の台上に「お犬さま」が見える


【参考】御嶽神社旧拝殿

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現在の拝殿

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先代の方は、修復が施され、社務所内に保存されているとのことなので、何とか見てみたいと思って探してみたら、ここ

http://www.raifuku.net/special/wolfpics2/wolfpics2.html#

http://www9.plala.or.jp/sinsi/07sinsi/fukuda/ohkami/ohkami-77-05.html

に写真があった。

現在の像と同様にプロポーションがよく、「ワイルド」な顔や足先が頼もしい。

■ネット上には…

「お狗さま」のお札についても「狛オオカミ」ついても、熱心に研究している方々のブログやWEBページ

たとえば
日本の狼信仰:資料蒐集と参拝記&狼を神使・眷属とする主要な神社仏閣まとめ(随時更新)
https://togetter.com/li/1214511

など、見切れないほどあり、ググれば足りるので、いちいちリンク先を挙げつらう必要もないことから、ユニークなものだけを挙げておこうと思う。

加えて、書籍も様々な観点にわたっているし数も多いが、とくに制作者によるDVDの続編にあたる「民俗学的」なこの本は推奨できる
  小倉美恵子「オオカミの護符」新潮社/2011・刊(新潮文庫版もある)

1 石黒直隆「絶滅した日本のオオカミの遺伝的系統」
  日本獣医師会雑誌 Vol.26(11),pp.765-770,2009-11
  https://ci.nii.ac.jp/naid/40016807061

  実物の二ホンオオカミあるいはヤマイヌの骨のDNA鑑定結果

2 東吉野村とニホンオオカミ
  http://www.vill.higashiyoshino.nara.jp/tourism/japaneseookami

  明治38年に、わが国で最後に捕獲されたといわれる、現在ロンドン自然史
  博物館に、頭骨と毛皮が保存されている二ホンオオカミの情報
  ページの末尾近くにある、そのブロンズ像の迫力には、写真でみても気押さ
  れる。

      【参照】https://biggame.iza-yoi.net/japan/Jamainu/Jamainu.html

3 嵐山町WEB博物誌:第1節 春を待つ:「COLUMN お犬さま」
  http://www.ranhaku.com/web07/c2/1_03.html

  末尾に、隣のときがわ町(旧・埼玉県比企都幾川村)式部平〔しきびだいら〕
  にあった二ホンオオカミの頭骨の写真
  http://www.ranhaku.com/web07/c2/1_03wolf_skull.html
  がある。

  *都幾川村文化財調査委員会「都幾川村の史跡と文化財」
                       同村教育委員会/S63・刊

   「三 式部平 二ホン狼の頭骨 村指定文化財」pp.30‐31 に
   「多武峯〔とうのみね 〕の北側に地元で「しきびたいら」と呼ぶ、旧野口勘一郎氏
    宅の入口(とほうぐち)、柱の裏側に昔から家内安全の魔除けとして狼の頭骨が
    つるされていた。」
   とある。
         〔註:野口家は、すでに同地から移転〕

4 「山上茂樹翁ききがきノート 第五十一話 菅生のお犬さま」
 「多摩のあゆみ」(たましん地域文化財団)Vol.38,pp.60-61,S60-02
  https://trc-adeac.trc.co.jp/Html/ImageView/1392015100/1392015100100010/tamanoayumi038/?p=62

   東京都あきる野市(旧・秋川市)菅生地区の正勝神社の境内社である
   大口真神社を中心とする同地の御嶽講と、周辺地区を含むオオカミの逸話。
   平素は害獣除けのオオカミではあるが、かつて土葬だったころ、このとき
   ばかりは、掘り返されては困るので「オオカミ除け」をしたという話は興
   味深い。

5 青梅の武蔵御嶽神社における餅撒きの動画。

   いわば本社の青梅の御嶽神社の行事です。
   同社に神楽(「太々神楽 」)を奉納する講社(「太々講」と名乗ることもあり、
   現在も10講ほどあるらしい
)が、神楽奉納の折に行う「餅撒き」の映像(同様に、
        銭を撒くタイプもある)。
   同社に参拝したからといって、まずめったに見ることのできない貴重な映像。
   https://www.youtube.com/watch?v=9eHmCY0fwd4

   https://www.youtube.com/watch?v=54rDWmcML68

 7 「御嶽講と御師」 1992年に東京都世田谷区教育委員会が制作した、同区大蔵の2つの御嶽代参講の記録

   砧大蔵の御嶽講「山谷講中」が、代参者を決める「お日まち」行事。片柳御師による檀家廻り。
   大蔵の講元の安藤家、同講中全体の護符を納める大蔵石井戸御嶽社の映像もある。
   https://www.youtube.com/watch?v=8XpryJtN11E 

8 西海賢二「武州御嶽山信仰と石造物」(「多摩のあゆみ」Vol42 「特集 多摩の修験信仰」多摩中央信用金庫 /S61 所収)

   著者は武蔵御嶽信仰の研究では第一人者。表題に「…石造物」とはあるが、前段の、御嶽信仰の沿革と現状、
   とりわけそのキーパースンである御師〔おし〕の起源や活動がついてわかりやすくまとめられているのは貴重。

   https://trc-adeac.trc.co.jp/Html/ImageView/1392015100/1392015100100010/tamanoayumi042/?p=63

9 【特別寄稿】  狼信仰の著者、写真家・青柳健二氏。
    狼信仰は、形を変えた自然崇拝とも言える。人と自然との関係をもう一度考えるきっかけに、という思いで取材を続けている。
  https://manabi-japan.jp/special-interview/20190921_15501/ 

  このページと、下部にあるリンク先ページを合わせれば、狼信仰についての、ほぼ1冊の教科書。
  ここで、表示されているリンク先は第7回までだが。
  https://manabi-japan.jp/?s=%E7%8B%BC%E4%BF%A1%E4%BB%B0
  で検索すると、第11回まであることがわかる。

10 寺田喜朗「オオカミ信仰の東西」

  https://www.youtube.com/watch?v=UVihGsYWG_g


■最後のリンク先は…

大正大学で宗教学の教鞭をとる寺田教授のオンライン講義の一環で、西欧と我が国のオオカミ信仰の発祥・内容・変遷を30分程度の講義の中で端的かつ明快にまとめている。

その分布からみて、ある程度は想像のついていたことではあったが、やはり、オオカミは、

当初、焼畑農業圏で、イノシシやシカから作物を守ってくれるカミとして、江戸の初期から中期に信仰の対象になった模様。

江戸後期には、コレラ除けのカミとしても崇敬を集めたらしいが、江戸を中心とする講員などの参詣者が神社に参集したり、各地元での儀式の後の直会などで共食することで「感染リスク」を高めたと思われる青梅・秩父の関係者ならばともかく、およそコレラ菌が辿り着けそうもない静岡の大井川沿いの奥地の井川とか小河内に「お犬さま」信仰が残っていることは、焼畑との関係を措定しなければ説明がつかないだろう。

■我が家に来た…

「お犬さま」には、玄関先に納まっていただいた。

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額縁代わりの笊は、骨董店で購入後30年以上経ったつい先日、茶葉の選別用
のものであることが判明した。
なお、中央部は京都の従兄から貰った「祇園さん」の粽。

期待している「ご利益」は、

・ネズミ除け
  ネズミ君の侵入口と思われる外壁のあらゆる隙間を塞いだはずなのだが、
  どうも彼らには人智の及ばぬルートがあるらしく、時折天井裏を走りまわる。
  イノシシ、シカも襲う「お狗さま」なのだから、ネズミごときは前片足の
  「一払い」で撃退してくれるだろう。
  そもそも、ノネズミは常食しているだろうし。

・コロナ除け
  幕末期「お狗さま」の護符は、コレラ除けとして絶大な人気があったという。
  かつてのコレラ同様の現代の疫病なのだから、当然期待したい。
  アマビエは「お狗さま」より新興でマイナーだし、「俗っぽ」すぎる。
  第一「お狗さま」とは迫力がまるで違う。

 

【補注】世田谷区(と周辺)の御嶽講

不覚にも、これまでノーチェックだった、当地の地域資料を調べてみた。

1 佐藤敏雄「下北沢通史」同/S61・刊
では、

「阿川昌朝氏談 追補 昭和六〇年五月聴取」(pp.125-129)中に
講では三峰講、御嶽講、富士講、庚申講があった。」(p.127)

とし、

2 世田谷区民俗調査団「下北沢 世田谷区民俗調査第8次報告」世田谷区教育委員会/S63・刊
では、

信仰的講組織としては、妙義講、榛名講、三峯講、大山講、富士講、箱根道了尊の講、念仏講、庚申講、念仏講〔ママ〕などがあった。」(p.22)

代参講として、大山講、富士講のほか「三峰講、妙義講、御岳講があった」(p.88)

とされている

3 世田谷区生活文化部文化課「ふるさと世田谷を語る 代田・北沢・代沢・大原・羽根木」同/H09・刊
では、

・旧下北澤村に該る「北沢・代沢」の章に

北沢2丁目の田中次郎氏談として
〇講の話
 講と称するものもいくつかありましたが、印象に残っているものは毎年代参といって、毎年地域の代表が一名ないし二名登山に行っていた富士講(山梨県富士山)、御嶽講(奥多摩御嶽神社)、榛名講(群馬県榛名神社)等です。これらの講は地域の各家から「講金」と称する会費を出し合いまして、これを代表が使用して参詣に行ったようです。これは農作物の豊作を祈願する傍ら、農家の人々の「慰安」でもあったようです。」(p.197。p.92も同旨 )

とあり、

【補記】21/01/12

下北沢村を中心とし、代田、雑色(中野)やおそらく幡ヶ谷などの講員で構成されていた富士講中である山富講の、かつての活動については、堀切森之助編「幡ヶ谷郷土誌(復刻版)」幡ヶ谷を語る会/H05・刊の p.163 が詳しい。

 

・隣村である旧代田村(本村と飛地下代田)に該る「代田・代沢」の章にも

「講・その他」の項に
三峰講は、現在も講中が三十二名いて、円乗院脇に三峰神社を祀り、毎年五月ごろには代参者〔註「四名」p.174〕を送って信仰を続けているということです。*
 御嶽講(武州御嶽)は、中原地区で行われていましたが、現在は代田八幡神社境内に末社として祀り、講中は解散しています。」(p.63)

とあった。

*この代参は今も続いていて、年1回円乗院で報告会が行われている由。

【参照】

旧代田村については、ある程度調査が進展している

https://daidarabotch.blogspot.com/2020/11/blog-post.html

この種の講中は、通常各村の字(小名)ごとに構成されているようなので、御嶽講は世田谷中原を中心に構成された可能性が高いし、それに対し三峯講の方は代田本村を中心に構成されたのかもしれないのだが、代田村の下北澤村を挟んだ飛地の下代田(現・略・世田谷区代沢1丁目)にも三峯社の小祠があった。
DaidaraNotesAndQueries: 代田村、下北沢村などでの御嶽、三峯への代参講
 末尾

【追記】21/01/12

 

上記三峯講は、代田本村を中心とする講中で、下代田は講中に加わっていない。

この種の講は原則として小字ごとに結成さているとのことで、下代田に三峯社があったことは、同地に本村のそれとは別に三峯講があった可能性がるようである。

なお、代田では、成田講も存続している由。

なお、代田村小名中原の御嶽講は、青梅御嶽山麓の御師集団である「山下御師」中の北島家の檀家だったと思われるが、北島家といっても数家あって、そのうちどの北島家なのかは、まだ全く不明である。

【追記】

下北沢・代田近隣では、

羽根木1-24

に武州御嶽神社があることがわかった。小祠ながら独立社(他社の摂社・末社でないという意味で)であるが、「お犬さま」はいない

https://www.youtube.com/watch?v=cb3vZ5qivSA

上記「ふるさと…」の羽根木の章を見たが、

かつて御嶽講があったとされるが(pp.163,232)それ以上の情報はない。

また、M42測 1/10000 地形図「世田谷」では、該当地に神社記号がなく、もともとは地域神あるいは屋敷神の祠だった可能性が高そうである。

代田の西隣の旧松原村の場合

・世田谷区民俗調査団「松原 世田谷区民俗調査第12次報告」世田谷区教育委員会/H08・刊

「信仰」の章「4.講」に、代参講として

講は旅行的要素を持っており、よい娯楽であった。代参の順序は丁目ごとに輪番で廻ってくる。4月は榛名講、5月は三峯講、御岳講(青梅)、幸運講などがあった。三峯講は現在も行われている。他にも善光寺講などがあって5月に代参に出かけた。
 御岳講は昭和初年まで行われており、参加者は白装束を来〔ママ〕て中央線で行った。御岳では一の池から三の池までの水が腹痛に効くとされ、一升瓶で持ち帰り普段は神棚に置いておいた。

とあった。

・世田谷区砧大蔵

   の御嶽講「山野講中」が、代参者を決める「お日まち」行事の記録

   片柳御師による檀家廻り。大蔵の講元の安藤家、同講中全体の護符を納める大蔵石井戸御嶽社の映像もある。
   https://www.youtube.com/watch?v=8XpryJtN11E 

なお、

・下馬4-27-26の駒繋神社

 には、の末社に、三峯神社、榛名神社と同居して御嶽神社があるようだ。

・渋谷区の旧幡ヶ谷村

の村域では、笹塚2-19、幡ヶ谷2-14にそれぞれ御嶽神社があるが*、こちらも、小祠・独立社・お犬さま不在。
これらも、M42測T10修測2 1/10000 地形図「中野」に記載がなく、また、
堀切森之助・編「幡ヶ谷郷土誌」
幡ヶ谷を語る会/S53・刊 のpp.73-75によれば、いずれも地域神のようである。

  *西海賢二「武州御嶽山信仰史の研究」名著出版/s58・刊 の、pp.267・257 によると
       文政10年御嶽社に奉納された大天狗小天狗立像の台座に、以下のように刻まれているという。
  「文政十丁亥四月吉日 鋳物師東都粉川
             江戸四ツ谷新町講
    武州豊島郡江戸四ツ谷新町
          山形家中
          彦根家中
          幡ヶ谷下町
          同笹塚
           :」

加えて

澁谷の武蔵御嶽

前掲・西海pp.277‐278によれば、

明治23年度に、御岳のある御師が市中などの檀家に護符を配った記録である「檀家配札帳」によれば、

同24年2月13・14日に、府内の渋谷で配札した

とされている。
上中下澁谷のどの地域かは不明だが、渋谷にも御嶽講があったことがわかる
(なお、このとき、御師は渋谷金王神社に宿を借りている)

【参照】

下北沢・代田に限らず、とくに農村地帯には様々な講社が存在していた。
ただ、これらの大半は、先の大戦を期に消滅しているので、それぞれの講が、何のために、どのような活動をしていたのかについては、今となっては非常にわかりにくい。

下記の資料は(「多摩の…」とあるが、世田谷を含め、江戸時代の江戸市街を示す「朱引線」の外の農村地帯に共通しているといえる)すでに消滅してしまったものも含めて各講社を概観するには、柳田の次世代の民俗学者として著名な宮田登が筑波大学の助教授時代に執筆の「『講』の本質」などもあって必読の一冊と言ってよい。

「多摩のあゆみ 第12号 特集 多摩の『講』」(たましん地域文化財団/S52-08)

https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11E0/WJJS06U/1392015100/1392015100100010/ht000120

 

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