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2017/05/03

戦災前の世田谷中原駅を推理する〔その2:駅舎の規模〕

〔その1:駅舎の意匠〕で…

検討したように、屋根の傾斜とか、場合によっては入口上の明り窓の有無の見当を付けるには、まずは、駅舎のサイズ、それに先立って、昭和2年の開業当時の、駅舎敷地の位置と広さが問題になる。

その重要な資料の一つとしては…

東京都公文書館・蔵の

資料種別 公文書_件名_府市
公開件名 土地収用事業認定(鉄道敷設並附帯事業)【停車場設計平面図2 停留場設計平面図10 敷設線路実測平面図2 実測図(地籍図)34 区域標示図】〔豊多摩郡淀橋町大字角筈字上手際 新町〕《小田原急行鉄道(株)》
文書記号・番号 丑土第4775号
補助件名 停車場設計平面図2 停留場設計平面図10 敷設線路実測平面図2 実測図(地籍図)34 区域標示図
文書年度(和暦) 大正14年~大正14年
文書年度(西暦) 1925年~1925年
起案年月日(和暦) 大正14年7月29日
起案年月日(西暦) 1925年07月29日
記述レベル item
作成組織 東京府
内容注記1 住所地:豊多摩郡淀橋町大字角筈字上手際 新町
内容注記2 関係先名・関係先住所:小田原急行鉄道(株)
収録先簿冊の資料ID 000129396,000129397
利用可否 利用可
公開区分 公開
資料状態 複製利用
利用状態 問題なし
複写コード 複製物から複写可
検索手段 [16],[D]D895
収録先の名称 地理・土地収用 冊の12,地理・土地収用 冊の13
収録先の請求番号 305.F6.06,305.F6.07
電磁的記録媒体番号 D895-RAM

中の「中原停留場設計平面圖」がある。

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これを、反転して抜粋すると(図の下方が略北)、

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 駅の西の、今の環状7号道路の原型にあたる、北は堀の内の妙法寺、南は池上の本門寺に通じる主要道「堀之内道*1からの取り付け道路を造り、その突き当りに駅舎が設けられたことがわかる。

 したがって、この世田谷中原の駅舎への入口は、堀之内道の方向、つまり西にあるらしいこと、駅の敷地の南北方向はそれほど広くないことから駅舎が東西方向に建っていたらしいことがわかる。

 上の図面の下方の横断面図を見ると、ホームの幅は15フィート(約4.5メートル≒2間半)なので、敷地の幅は、そのほぼ倍の30フィート(約9メートル≒5間)しかないことになる。

 実際、同じ敷地に戦後建て直された駅舎のサイズからみても、駅舎のサイズがそれほど大きいものでなく、また、敷地の南北方向の幅がそれほど広くはなかったことがわかる(左端やや上の小豆色の屋根が場内跨線橋)。


「明らかにパブリックドメイン」といえる大きな画像が見つからないので、WikiPediaから、とりあえず小さな画像だが転載。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/1/1e/Odakyu_Setagayadaita_eki_3.jpg

*1 とくに、今の東京西部は南北に通じる道が少なかったこともあり、かつては両寺での大きな法要時には、人の流れが途切れなかったという。

もう一つの資料は…

小田急電鉄・蔵の、世田谷中原駅の「焼け跡」の写真

S20s_2

である。

 この写真の中の、コンクリート製の基礎の残骸をてがかりに、建物の外形のいわゆるアタリを取ってみると

S20s_4

水平方向の赤線のような、駅舎の平面が浮かび上がる。

 つまり、
・駅舎は敷地の南寄りにあって
・写真手前の西側の縦方向の緑線の間が駅舎の入口で
・その奥の東側の約5分の3の範囲に事務室がある。

・入口から入ってすぐ左が改札口で、
・そこから右に折れてホームに向かい
・下りホームへは(先の設計図の断面図からみると) そのまま行くことができるが
・上りホームへは、一旦ゆるい階段を下って、左に曲がって構内横断場を渡り、右手のゆるい階段を昇る

ということになる。

 この配置だと、敷地の南端と駅舎の間が半間(0.9メートル。この時点では敷地の南は道路ではないので、境界ギリギリに駅舎を建てるわけにはゆかないだろう)、駅舎と線路の間の通路を1間半(1.35メートル+1.35メートル=2.7メートル)とみると、駅舎の幅は、5-(0.5+1.5)間の3間(約5.4メートル)程度を取るのがせいぜいといえる。

 先の生方・p.35の喜多見駅復元図の駅舎の幅は、5.4メートルなので、それとほぼ同規模・同一設計か、あるいは1サイズ下、つまり幅4.5メートル程度(おそらく、前ページの鶴巻駅と同規模・同一設計か)と考えられる。

【参考】

Photo
開業直後と思われる「千駄ヶ谷新田」(→小田急本社前→南新宿)
推定幅4.5m(2間半)

ここまでの結果に基づく想像図は 次ページ で。

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