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2017/05/03

戦災前の世田谷中原駅を推理する〔その1:駅舎の意匠〕

昭和20年7月1日に…

空襲で、世田谷中原、つまり今の世田谷代田の駅舎が焼失している。

 この焼失前の駅舎の写真は、これまで探したがみつからないので(昭和19年に橋上駅に改築された下北沢、さらに昭和38年に鉄骨造の駅舎に改築される前の東北沢の木造時代の駅舎ですらほとんど写真がないので、無理もない面もある)、今回、戦災前の駅舎の姿を推定してみることにした。

実それというのも…

生方良雄「小田急の駅今昔・昭和の面影」JTBパブリッシング(キャンブックス)/2009年・刊

によれば、少なくとも、昭和2年4月1日に小田急の小田原線が開通した当初の駅舎は、かなり、パターン化されていることがわかったからである。

 つまり、同書のp.33には、

「■駅舎建築
 小田急の駅舎建築の変化を概括的に眺めてみると、小田原線開通時に五大停車場(稲田登戸
*1、新原町田、相模厚木*2、大秦野*3、新松田)がマンサード型の大きな駅舎で威容を誇っていた。…その他の駅*3は当時はやりのモルタル造りの建築が多かった。」

とある。

*1 現・向ヶ丘遊園(北口に、唯一、開通時のマンサード型の屋根の駅舎が残っている)
   ブログ「関根要太郎研究室@はこだて
 」中の「小田急電鉄・向ヶ丘遊園駅(昭和モダン建築探訪)
   http://fkaidofudo.exblog.jp/17977023
   に、2012年撮影の様々な角度からの写真と、新原町田、新松田の開業当時の写真も掲載されている。
*2 現・本厚木〔表/南口〕
*3 現・秦野
*4 当時の「地方鉄道法」では、おおまかにいえば、信号機またはポイントのあるものを「停車場」、これらがないのを「停留場」といった、以下、ポイントはともかく信号機の有無まで調べるのは、面倒だし、このアーティクルの本筋とは無関係なので、すべて「駅」と呼ぶ。

実際…

同書などに掲載されている昭和2年4月1日の開業時に建築された駅舎の写真を見ると、
・新宿、小田原などのターミナルを除くと
・マンサード屋根の上記5駅舎
 3829p82_s
 大秦野駅〔現・秦野〕
 鉄道ピクトリアル No.829p.82


・木造モルタル造で切り妻の屋根の棟の中央に三角形の明かり窓のあるいわば「標準仕様」
 3829p82_s_3
 鶴巻駅〔現・鶴巻温泉〕 前同

に大別され
これらからはずれる
・特殊タイプとしては、参宮橋(同・p.48。明治神宮の最寄り駅なので「社殿造り」)、座間〔初代〕(同・p.96.現・相武台前。陸軍士官学校の最寄り駅で同校校長などのための貴賓室を備える大型駅舎)程度しか見当たらない。

S
相模厚木〔表口〕 土木建築工事畫報 3巻5号30ページ
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/gaho/kenchikukouji/index.html
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/gaho/kenchikukouji/03-05/03-05-0495.pdf

 世田谷中原は、もちろん先の5大駅舎のうちに入っていないし、特殊タイプの駅舎とするほどの特色のある場所ではないので、結局「標準仕様」、つまり上の鶴巻駅と同様の意匠によって設計されていると考えるほかない。

もっとも…

「標準仕様」とはいっても、詳しくみると、構造、意匠、材料、装飾などが共通という意味で、微妙にバリエーションがあることがわかる。

 たとえば
・柿生駅(同・p.84)と伊勢原(同・p.109)は、他の駅舎の入口が建物の棟の方向、つまり建物の妻面にあるのに対し、ここは、棟と直角に屋根を設けて、いわゆる平入りになっているし、
・生田(同・p.78)、新座間(同・p.98。現・座間)も、その方向には屋根がなく庇しかないが、平入りになっており、
・経堂は、妻入りで構造自体には標準型と違いはなさそうだが、妻面の装飾がほかの駅と違っている(後の、改装の可能性はあるが)。

 しかし、もっとも多いバリエーションは、
・駅舎の妻面の幅
・それと関係の深い屋根の勾配
・妻面の駅入り口の上や屋根側面の明かり窓の有無
である。

中でも…

一番わかりやすいのが、屋根の勾配である。

 生方・p.35に、喜多見駅の復元図(西〔事務所側〕面と北〔ホームの反対側〕面の各立面図と平面図)が掲載されているが、その屋根の勾配は10/10、つまり角度でいえば45度になっている。

 しかし、写真で判断する限り、そこまで急勾配のものは、稲田登戸の南口(同・p.74)、相模厚木(同・p.106。現・本厚木)、伊勢原(現・同p.109)くらいで、他はもう少し勾配は緩い。

 屋根の高さ(深さ)が同じなら、妻面の幅が広くなれば勾配は緩くなるので、まずは駅舎のサイズ(妻面の幅)で屋根の勾配が決まるとみてよい。

 ただし、あまり緩いと雨漏りの原因になるので、限界はあって、その場合には屋根を高くする必要があるし、そうなると、入口上の妻面に、半円形を基調にした装飾はあるものの「間が抜ける」ので、入口の庇の上に明かり窓を設けたのではないかと思われる。
(やや異色なのは、稲田登戸の南口(同・p.74)で、おそらくは北口の大型駅舎とのバランスとか、向ヶ丘遊園〔小田急本線と同時開業〕の最寄り駅であるためか、かなり大型の駅舎に見えるが、楽し気な雰囲気を出すためだろうが、傾斜45度の屋根が載っている。)

 つまりは、あまり大型の駅舎でなければ、建物の幅から自ずから屋根の勾配の見当がつき、さらに、入口上の明り窓の有無もあらかた推定できそうである。

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