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2017/04/28

【北沢川文化遺産保存の会BBSのアーカイブ】「下北沢地下道写真」の解析

「本家」の…

下北沢X物語(3266)~下北沢駅の地下道の話を聴く会Ⅱ~
http://blog.livedoor.jp/rail777/archives/52043862.html

の2枚目の「小田急開業80周年記念特集」とのタイトルの写真集
http://livedoor.blogimg.jp/rail777/imgs/a/8/a883fe09.jpg

その右下の「1965年、駅改良工事中の下北沢」と題する写真には、
同ページでも指摘しているように、地下道の入口のような建屋が写っています。

A883fe09dijrt
 上は、その写真を取り出して正立させたもの(以下「1965年写真」ということにします)。

実は…

この「1965年写真」、どうやら…

雑誌「鉄道ピクトリアル」812(2008年12月)号 p.114 の
長内 宏「小田急下北沢駅 島式ホーム・地下通路の遺構」

という記事の末尾
「地下自由通路のなごり」という見出しの部分の終わりの段落に

「なお,2007年5月の小田急広報誌に,下北沢駅の紹介記事があり,ここに1965(昭和40)年の改良工事の写真として,この地下通路の出入口を復活させたと思われる写真が掲載されている.広報誌に説明はないが,駅舎建て替えのため,新宿方の仮駅舎に移ったことから,一時的に地下の自由通路を復活させたのではないかと思われるのだが,ご存じの方は,ぜひ教示をお願いしたい.」

と指摘している写真そのもののようなのです。

A883fe09dijrtcomment
 ところで、この建屋の向かって右の軒先の、多分雨樋が「だらん」と下がっている光景(上の写真の青丸の部分。排水のためワザとこうしてあるのかもしれません)には見覚えがあり…

パソコンの中を…

探してみたら、ありました。

Vol33l

 小田急がかつて発行していた広報誌

「小田急だより」33号(1966年発行)に掲載されていた、この写真(以下「1966写真」といいます)。

今から4年ほど前、2013年6月にネットオークションに出品されていたときに、下北沢駅の改良工事の写真は珍しいので、セーブしておいた画像です(こんなことになるなら、落札しとけばよかった)。

注目点は…

この

Vol33lcomment

写真左下の、青丸のところ。

雨樋らしきものの「垂れ下がり具合」がドンピシャで一致しています。

 こうなると、1965と1966の2枚の写真、どこをどう撮ったのを知りたくなるのが当然。

その、手掛かりは、左上の赤四角の中のビル。

 当時、小田急下北沢駅のホームの近くにあった、大きめのビルというと、
・富士銀行(現・みずほ銀行)か、
・第一銀行(現・オオゼキの場所)
くらいしか考えにくい。

 で、このビルの写真が、探してみたら、あったのです。

この写真…

013

世田谷区立郷土資料館・編「写真で見る戦後復興期の世田谷」同館/2007年・刊 p.28 の、写真番号103「下北沢駅北口 昭和27年3月 北口から北北東を見る。」とのキャプションがついています。

 実際、ほぼ中央に「[フウ=風の中が「百」]月堂」の看板が写り込んでいますので、下北沢北口に間違いはないことになります。

 この左端のビル、外壁面に縦に柱のような形のでっぱりがあって、その間の奥の壁面に窓があること、正面からみて右端にやや広い平らな壁があって小ぶりの窓があることは、1966年写真と同じ。

 したがって…

いうまでもなく…

これは富士銀行。

Photo

(地図は、図法と住居表示〔当地は昭和39年に住居表示実施のため〕がないことからみて
住宅協会地図部発行の「全住宅案内地図帳 世田谷区版」
の昭和40年以前に発行のものと推定されます。)

 したがって、1965年写真と1966年写真は、北口にある富士銀行とは小田急の線路をはさんで反対側の南口方向から、北口方向を写したことになります。

 と、いうことは…

この地下道は…

昭和8年、帝都線(現・京王井の頭線)の開通時に設けられたという2本の地下道のうち、駅者の南西かつ駅の改札外の、北口と南口を結ぶ「自由地下道」であることにまず間違いないことになります。

Photo_2

(地図は、推定・東京北澤通商店街商業組合・編「町内図」同組合/S09年ころ・刊 の抜粋)

Q.E.D.

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コメント

吉川様

コメントありがとうございます。

あの北口の階段の右のスペース。富士銀行(当時)やピーコックにはそこそこ行っていたのですが、小さなビルが建つまでについては全く記憶がないので(スーパーも、池ノ上の住人なので、南口のエンドーや忠実屋に行くことが多かったですし)、貴重な情報です。

なお、本文に書き洩らしましたが、南口側の入口の巡検記が、ここ
http://baumdorf.my.coocan.jp/KimuTaka/HalfMile/ShimoUGroad.htm
にありますので、ご興味がありましたらご覧ください。

投稿: きむらたかし | 2020/05/04 15:23

この通路の入口は私が小学生だった昭和50年代頃まで富士銀行の向かい側の空き地に板塀で封をされて残っていたのを覚えています。

投稿: 吉川睦彦 | 2020/05/04 13:51

前川様

コメントありがとうございます。

2本の地下道のうち南側の1本は、従前の踏切の代替で改札はなし。
もう1本は、今のピーコックの向かいにあった駅舎の改札を入った後、小田急の上下線の間にあったホームに行くための地下道だったようです(井の頭線には、その小田急のホームから階段を昇って向かったようです)。

投稿: きむらたかし | 2020/04/29 22:02

下北沢周辺在住(S45生まれ)、変わりゆく下北沢に想いを巡らせるうちにこちらの記事に辿り着きました。
大変興味深い内容に感謝してます。
元々は祖父母が住んでいたために、駅周辺には幼少期から多少の記憶があるのですが、地下通路の存在を知ったのは最近になってからのことです。
他のサイトで、「地下道に改札があったか、なかったか?」みたいなことが話題になっていましたが、こちらを拝見すると2本の通路があったということで、改札ありと無しがあったのだろうなと、何となく合点がいって楽しく読ませていただきました。
ありがとうございました😊

投稿: 前川剛 | 2020/03/16 10:43

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