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2016/11/07

原・山手線のルートは鎗ケ崎越えだった?

今の…

山手線(の西側約半分)は、もともとは、私鉄〔といっても、一般的な私鉄とはやや性格が異なる〕だった日本鉄道の、東北・上越方面と東京南部とを結ぶ路線として明治18年に開通したことはよく知られている。

 

その「日本鉄道品川線」のルートとして初期に計画された、品川―高崎間の路線の図面が、国立公文書館のデジタルライブラリにある。

「東京高崎間鉄道路線図」〔原文「東京高嵜間銕道略圖」〕

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/pickup/view/detail/detailArchives/0605050000/0000000746/00

S

これまた…

よく取沙汰されている「目黒駅追い上げ説」によれば、 現・山手線は品川から目黒川を渡り、川の右岸側を進み、目黒不動の東側を通り、その後目黒川を渡って渋谷に抜ける計画だったところ、地元民の反対にあって、現・五反田駅を経て現・目黒駅に抜けるルートに変更された、というものだが、この地図

C
上図の左端を抜粋し90度半時計周りに転回

をみると、あながち、都市伝説とばかりは言い切れない話にも思えてしまう*

*ただし、やはり都市伝説でしかないようである。
小野田 滋「東京鉄道遺産をめぐる 番外編5 連載の補遺 -その2-」(鉄道ファン2012年5月号pp.146-151)pp.146-150 

■それはともかく…

この図をみても品川駅は(もともと東海道本線の駅だから当たり前だが)現在と同じ位置にあるし、図中に赤字で「ステーション」とある渋谷駅も開通当初の位置(その後、渋谷の貨物駅となり、現在は、湘南新宿ラインの「里俗・南渋谷駅」がある)にあるように見えるので、果たしてこの品川・渋谷間の当初計画のルートがどのようなものだったのかには、興味をそそられるところである。

 

■そこで…

2s

この、品川・渋谷間について、線路に交差している当時の主要道路を当てはめてみると、

・目黒不動のあたりまでは、目黒川右岸を、ほぼ現在の山手通りに近いルートを北上し

・目黒・田道の海軍火薬製造所、現在の防衛技術研究所の南で目黒川の左岸にわたり

・別所坂の西を過ぎるあたりまで岸沿いに北上して、

・ルートをやや東に転じて、目黒川と渋谷川の間の鞍部を越えて

・渋谷川の谷筋に下り

・ほぼ現・湘南新宿ラインの駅の位置にある渋谷駅に達する

ことになる。

■問題は…

 その目黒川と渋谷川の間の鞍部をどこで越えるのかにあるが、路線図をよく見ると、そのルートは

目黒川側の谷筋らしき鞍部の微妙な凹み

・渋谷川側の明らかに谷筋と思われる凹み

の間を結んでいることが読み取れる。

・この両者を満たし

・鉄道路線として(当初は蒸気機関車が牽引する列車だった)勾配に無理があまりなく
・谷筋があって線路を通すための地盤の掘削量が少ない

ルートとしては

 目黒川側では、現・駒澤通り

 渋谷川側でが、現・東横線

の通る両谷筋を活かしたラインしか考えにくい。

 

3s

■つまり…

この初期の原・山手線ルートは、どうも鎗ケ崎のあたり越える計画だったようなのである。

 

 

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