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2016/10/16

世田谷区代田図書館講演会「三土代會の歴史」

2016年10月15日…

世田谷区代田図書館の講演会

「昔の代田」(第2弾)『三土代會の歴史』

S_2

に行ってきた。

「三土代會」

【資料映像】
R8630_01c_2
2007年12月1日の「代田フェスタ」で撮影

というのは…

戦後、代田の始祖とされる「代田七人衆」と呼ばれる7家の末裔を中心に、当初はその菩提寺である円乗院*の檀家で構成された団体で、詳細は

【資料映像】
R3214_17s
同上

を参照。

文中の、多人数で一気に餅を搗きあげる「代田餅搗き」は、これまでマスメディアでもよく取り上げられていただだけでなく、世田谷区の無形民俗文化財(民俗芸能)にも指定されている。

*正式には「代永山円乗院真勝寺」

具体的にどんな「餅搗き」なのかは…

当方が、YouTubeにアップロード済みの、

2012年 1月15日 世田谷区代田八幡神社

https://youtu.be/eYDpt7Y-ZG8

での映像で。

なぜ…

このような餅搗きをするようになったのかというと、その理由は2つあって

その先、半年から1年分の農作業時の昼食にする水餅用に大量に搗く必要
 家族の多い家では、その分大量の餅を作る必要があるので、4俵・5俵(1俵60キログラム)分の餅をできるだけ短時間で搗く必要があった

水田が少ない地域なので、粘り気の少ない陸稲主体の米で搗く必要
 陸稲の米に、雑穀と少量の水稲の米を加えたものに餅の粘り気を出させるため、6人あるいは8人がかりで一気に搗き上げる必要があった

ことから、独特の方法(ただし、全国で唯一無二というわけではない*)が考えられた由。

*新潟県小千谷の5人搗き
  
http://www.city.ojiya.niigata.jp/soshiki/kikakuseisaku/kinetsuki-2012.html
 山形県上山〔上の山〕の8人搗き
  http://www.city.kaminoyama.yamagata.jp/site/kouhoushi/mati-141221.html
 など。

上のビデオを撮った…

2012年の折は、いわば「古式」に倣って米に粟を混ぜて搗いた餅が、ふるまわれたが、柳下隆さんの解説によると、戦前や江戸時代の餅を「完全復刻」するのは、実は、以下のようにそう簡単ではない、とのことだった。

そもそも米が違う

 当然のことながら、かつては、買ってきた米を使うわけではなく、自家で収穫した米を使うのだが、代田村の水田は、北沢用水沿いなど面積が限られていて、ほとんどが陸稲で粘り気が少ないので、搗きあげるのに時間がかかり、現在の水稲の米なら1臼5・6分で搗き上がるが、陸稲の米だとその倍の時間がかかる

搗き上がった後の雑穀の状態が違う

 前記のように、当地の餅は、もともとは、陸稲米だけでなく、それにトウモロコシ、粟、稗などの雑穀を加えて、さらに少量の水稲米を加えて搗いていたが、そのころは、長時間搗く、したがって搗く回数が多いので、雑穀(粟、稗を何日も前から水に漬けておく。)、皮が破れて餅の中に混ざりこむが、今は短時間で搗き上がってしまうので、皮が破れず、粒のまま餅の中に残ってしまう

かつてと同じ材料が入手できない
 トウモロコシは干して保存しておいたものを、前日から水に漬けて戻し、皮をはずして使っていたが、今入手できるのは西欧由来の品種のもので、当時使われていた在来種が今では手に入らない

「代田餅搗き唄」は…

 会員の鈴木巌さんから、毎回の餅搗きの冒頭の杵を使って米を捏ねる「こねどり」という作業(ビデオ参照)の時の唄と、全ての餅搗きを終えるときの納の唄をご披露いたいた。

 歌詞カードが資料として配られたので、そのうち、まだ著作権が存続中の平成元年に創られた部分(昭和天皇の崩御を受けて、元唄がすべて「目出度い内容」なので畏れ多い、ということから追加された由。)を除いて転載する(青文字部分がご披露いただいた2番)。

代田三土代會伝承「餅搗き唄」

ノーエ

目出度ナーエ 目出度めでたの若松様よ
庭にやヨーエ 庭にや鶴亀ソレサ五葉の松
松のナーエ 松の下にはお爺とお婆
お爺ナーエ お爺百までわしゃ九十九まで
共にナーエ 共に白髪のソレサはえるまで
共にナーエ 共の白髪はソレサまだおろか
孫にナーエ 孫に白髪のソレサはえるまで
孫のナーエ 孫の白髪はソレサまだおろか
石のナーエ 石の土台のソレサ腐るまで
さあさナーエ さあさ皆様程よく練れた
ねれたナーエ 練れたところでたたこぢゃないか ヨイヨイヨイ

此の家ナーエ 此の家やかたは目出度いやかた
奥じゃヨーエ 奥じゃ三味ひく中の間じゃ踊る
お台ナーエ お台所じゃおかちんねりを
これはナーエ これは来春ソレサ神供え
神仁ナーエ 神に供えて千両箱つんで
千両ナーエ 千両箱には大黒・恵比寿
恵比寿ナーエ 恵比寿・大黒ソレサ福の神
さあさナーエ さあさ皆様程よく練れた
練れたところでたたこじゃないか ヨイヨイヨイ

富士のナーエ 富士の白雪朝日でとける
とけてナーエ とけて流れて三島に落ちる
三島ナーエ 三島女郎衆が ソレサ化粧の水
女郎がナーエ 女郎が化粧して ソレサ客を待つ

よせばナーエ よせばいいのに舌切雀
ちょいとヨーエ ちょいと舐めたが ソレサ身の因果

本町ナーエ 本町二丁目の糸屋の娘
姉はヨーエ 姉ぼ二十一妹は二十
姉にやヨーエ 姉にや少しも望みはないが
妹ヨーエ 妹ほしさに御りょ願かけて

伊勢ナーエ 伊勢へ七度 熊野へ三度
芝のナーエ 芝の愛宕山ヘ ソレサ月詣り
愛宕ナーエ 愛宕土産に何と何をもろた
笠がナーエ 笠が三階 刀が三腰
笠はナーエ 笠は娘に 刀は婿に
娘ナーエ 娘かぶれりやれ 婿殿さしやれ
さあさナーエ さあさ皆様たたこぢゃないか ヨイヨイヨイ

沖のナーエ 沖の暗いのに白帆が見える
あれはヨーエ あれは紀伊の国 ソレサ蜜柑船
神田の市場で売られて買われて むかれて食われて
皮はヨーエ 干して刻んで 珍皮とされる

花のナーエ、花の吉原将棋の駒よ 金銀飛車角 桂馬の高飛び
香車ナーエ 香車なければ ソレサ歩がただぬ
揃ろたナーエ 揃ろた揃ろたよ六本の杵が 稲の出穂よりまだよく揃ろた
揃ろたナーエ 揃ろたところででたたこぢゃないか ヨイヨイヨイ

湯屋のナーエ 湯屋ののれんに松竹梅よ
熱さナーエ 熱さやうめまつ ぬるけりやだけよ ヨイヨイヨイ

曽我のナーエ 曽我のあだうち仁田の四郎は
富士のナーエ 富士の裾野で ソレサひざ枕 ヨイヨイヨイ

押せよナーエ 押せよ押せ押せ 押さなきや行かぬ
押してナーエ 押して木を遣る ソレサいかだ舟

伊勢はナーエ 伊勢は津でもつ 津は伊勢でもつ
尾張ナーエ 尾張名古屋は ソレサ城でもつ
内のナーエ 内のしんしょうは ソレサ妻でもつ

此の家ナーエ 此の家やかたは目出度い造り
柱ナーエ 柱金銀で 垂水が銀よ
屋根はナーエ 屋根は黄金で ヤレサ葺積る
奥ぢやナーエ 奥ぢや楽しく中の間で踊る
お台ナーエ お台所ではおかちんねーりよ

戸田のナーエ 戸田の渡しで今朝見た小女
あの小女ナーエ あの小女にやりたいものは
銀のナーエ 銀のかんざし 五尺のかもじ
入れてナーエ 入れて結わせて あとがら見れば
にいさナーエ にいさ泣かせの アリャ投島田

伊豆のナーエ 伊豆の七島 四国で八島
わしのナーエ わしの眼につく つく九の年増
表ナーエ 表向をば茶縞で見せて
今朝もナーエ 今朝も野に出て ヤレサ若菜を摘めば
露でナーエ 露で小つまが皆濡れる

袷ナーエ 袷よくきけみじろやおくみ
つまじやナーエ つまじやー生の苦労する
露でナーエ 露ぢや濡れても ヤレサ心ぢや濡れぬ
つまとナーエ つまと名がつきや濡れもする

遠くナーエ 遠く離れて苦労するよりは
浮気ナーエ 浮気されても側がよい

洗髪ナーエ 洗髪ほど心はとけて
主ヘナーエ 主へまごころ つげの櫛

〔転載省略:上記参照〕

これがナーエ これがこなたの納めの餅よ
釜もナーエ 釜もだいすも 蒸龍もご苦労
今年ナーエ 今年やこれきり ヤレサおなごり惜しや
御縁ナーエ 御縁あるなら また来年も

これがナーエ これがこの家の納めの臼よ
臼もナーエ 臼もだいす
*も蒸寵も杵も
それにナーエ それに続いて手返さんも御苦労
それにナーエ それに続いて板前さんも御苦労
それにナーエ それに続いて皆さんも御苦労
御縁ナーエ 御縁あるなら また来年も
明日はナーエ 明日はどちらでお搗きなさる

*「だいす」〔台す〕は、円形の釜の上に四角い蒸籠を載せるときに、釜の蒸気を蒸篭に送るために必要な、
 
丸穴の空いた四角い板
http://fujitadougu.com/mochi/mochi_kakuseiro.html の末尾参照

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