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2016/07/27

代田村のもう一つの「謎」

たまたま…

別の目的のために、コピーしてきた
東京都立大学学術研究会・編「目黒区史 資料編」同区/昭和38年・刊
を眺めていたら、同区の旧家の鏑木家文書の一番末尾
万延元年閏三月の「目黒筋抱屋鋪抱地取調書」の
の、さらに一番末尾近くに
代田村内に「中條中務太輔」なる人物が16350.5坪の抱屋敷
を保有していた旨の記載がありました(p.250)

万延元年といえば…

1860年。

 当時の中條中務太輔〔ちゅうじょう・なかつかさ・たいふ〕さんを探すと、

本名 中条 信礼〔ちゅうじょう のぶのり〕(文化9(1812)年-没年不詳)

という高家旗本で、しかも、文久3(1863)年から慶応4(1868)年まで高家肝煎(要するに、あの「吉良さん」と同じ地位)を勤めたという名家のようです。

しかし…

この抱屋敷。代田村のどこにあったのかv

目黒筋御場繪圖
http://www.digital.archives.go.jp/das/image-l/M2008032520510889502
にもそれらしい記載がありませんし、

御府内往還場末其外沿革圖書
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2608701
では、代田村は範囲外

ということから、てがかりがないので、国会図書館にある

改場外抱屋鋪寄帳[2](奥付に「天保七年五月改」とある)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/2dijpid/2548039?tocOpened=1
を見てみると、その5コマ目に。代田村内の中條家の抱屋敷の記載がありましたが(慶応元年付けの、貼紙上の記述で、面積も13156坪)、具体的な位置のてがかりはなし。

 もし、中務家のご子孫とか、何かご存知の方は、是非ご一報を。

そういえば…

我が下北澤村にも、その北端近くに「薩摩屋敷」なる小字(小名)名があって、以前どこかで読んだ文献では、慶長のころ、同地に薩摩藩の抱屋敷があった「らしい」とのことでした。

 しかし、その具体的な位置や時期については、まったく確たる史料がありません。

加えて…

今回の調べものの過程で、先に同じく、国会図書館にある

改場外抱屋鋪寄帳[1](奥付に「天保七年八月改」とある)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2548038?tocOpened=1
Dij_2
の6コマ目に
「元・【戸田?未判読】肥後守」から「井上【辰?以下未判読】」に、11356坪が慶応3年に譲渡されたこと示すらしい貼紙があったのすが、これにも具体的な位置を示す記載はみあたりません。

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