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2016/06/07

補助26号線沿革

今現在でも…

そうなのですが、品川駅から、下北沢など「東京の西郊」の地域に車で移動しようとすると、駅前の柘榴坂を上り二本榎を抜けてから桜木通の高輪台に出るまでは、狭い道をすり抜ける必要があります。

 品川駅は港区にあるのですが、本当の品川区にある大井町駅から西郊に抜ける場合もほぼ同じで、昔伯父が住んでいた大井町から北沢に戻るときも、山手通りに出るまでかなり手間取りました。

 この、補助26号はそういった品川区北部の区民(実は、私も大昔はそうだったのですが)には救世主のような道路のようです。

もともと…

このあたりの道路計画は、関東大震災後の東京復興計画が、その後の人口の郊外への移動にともなって拡張された計画の所産なのですが、そのため、この補助26号の線引きができたのは、他の東京の中心部の道路に比べてやや遅れたようです。

 いわゆる民間地図を含めると、ですが、
 大正14年の「最新大東亰地図」には、山手通り(環状6号)と環状7号のルートは、緑色の線で描かれていますが、この補助26号は影も形もありません。

 これが、昭和5年の「東京府荏原郡世田谷町全圖」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1142506
になると、この補助26号のルートが点線で表示されていますので、

2654

この道(と、下北沢で騒々しい補助54号)はどうやら昭和の初期に敷設が決まったらしいことがわかります。

 以後、手許の民間発行の地図には、ほぼ例外なく、補助26・54号は点線などで、ルートが示されています。

S08r26
「東京全図」S08(部分)

では…

公的な地図ではどうかというと、土木建築工事画報昭和14年1月号44ページ
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/gaho/kenchikukouji/15-01/15-01-2737.pdf
に掲載されている「東京都市計画道路図」には、

・補助26号の三宿・甲州街道間が、
    東京「市」が将来施工する区間
・補助54号の東大裏・環状7号線間が、
    東京府が昭和14年度までに施工を終えるべき区間

として表示されています。

S12

 このうち、

・補助54号の環6との東大裏交差点-三角橋間は、昭和12-14年ころ拡幅が終わっているようですし、
http://baumdorf.my.coocan.jp/KimuTaka/HalfMile/KomabaMichi.htm
後半の「昭和天皇行幸説!?」参照)

 これに加えて、

・三角橋の少し西での、将来の補助54号のルートへの道路の付け替え

のほか、
 補助54号の三角橋交差点南東部分は、どうやら補助26号線との接続工事が間近に予定されていたらしく、長く歩道の工事が行われていませんでした。
http://baumdorf.my.coocan.jp/KimuTaka/HalfMile/KomabaMichi.htm
の末尾近く参照)

その後…

約4分の3世紀経って、ようやく動き出したのですが、計画当初の道路幅は15m。

On
復興局・編「都市計画道路網図」同/1928・刊(抜粋)
https://www.timr.or.jp/library/docs/mrl0911-OY-1-130-2.pdf

まぁ、このときはまだ帝都線(現・京王井の頭線)はなく、かりにあっても、当時なら踏切で平面交差させればよかったでしょうが、今となっては立体交差にしないと朝夕は間違いなく渋滞必至ですので、交差部の前後で走路幅が多少膨らむのはやむを得ないのかもしれませんが、それにしても

http://baumdorf.cocolog-nifty.com/gardengarden/2015/07/26-ac6e.html

のように、幅員33メートルというのはナンセンスでしょう。

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